2008-08-06
被爆者の声と伊藤明彦さん

 きょうは広島、3日後には長崎で原爆忌である。あれからすでにして63年……である。被爆者のうち、生きながらえた人たちも少なくなり、生存している人たちも高齢化がすすんでいる。

「やがて、被爆した人たちがひとりもいなくなる日がやってくる。そうなれば原爆の恐ろしさが完全に風化してしまう。だから被爆者自らが肉声でかたる被爆体験を記録にとどめ、後世にのこす必要があるのではないかと思ったのですよ」

 元長崎放送記者の伊藤明彦はそのようにかたった。かつてある本づくりの取材で訪問、話を聞いたときのことである。あのときの伊藤さんの表情を今もわすれられないでいる。

 伊藤さんは42年間にわたって全国を歩きまわり、1,000人をこえる被爆者の声を収録、その録音テープは951巻きにおよんだ。コンパクトば録音機材のない時代、重たいオープンリールの録音機をかついで被爆者をたずねてまわった。

 収録したテープは何年もかかって編集、コンパクトのテープやCDに編集、全国の図書館や学校など公共の移設に寄贈しつづけてきた。むろんどこからの援助もうけていない。すべて自費である。

 それにしても42年とは、とほうもない道のである。人生の最も熱い季節をすべて費やしたといっていいだろう。  マスターテープの寄贈先がきまったとき、伊藤さんはひとまず長い旅をおえたが、インタネットの時代になって、また、思い立ってあるきはじめた。さっそく協力者によって「被爆者の声」(http://www.geocities.jp/s20hibaku/)というサイトがつくられ、原爆被爆者284人の証言を集めたCD作品をパソコンで聞けるようになった。

 被爆者たちの声をアメリカの若者たちに聞かせたい……。インタネットならそれができる。協力者の手によって、英語字幕版がつくられ、いまでは全世界に配信されている。先日、その伊藤さんからメールがとどいた。

「伊藤明彦です。こんにちは。「被爆者の声」の英語字幕版「voshn.com」ですが、映像制作のプロのご協力により、CMを作成しYouTubeに投稿しました。 ご覧頂ければ幸いです。外国人のお友達にもご紹介下さいますよう。」

 英語字幕版(http://www.geocities.jp/s20hibaku/voshn/)は被爆者の肉声を耳で聞きながら、パソコンの画面ではその英訳が読めるという仕組みになっている。小刻みにクリックしなければならないのが、ちょっとめんどうだが、音声はすばらしいものにしあがっている。

 あと30年もすれば、すべての被爆者は地上から姿を消すだろう。だが伊藤さんのテープは貴重な歴史の証言として残るもし広島、長崎の体験をわすれるような事態がみえれば、伊藤さんのテープにおさめられた1000余人の声が厳しく断罪することだろう。



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2008-08-03


 植島啓司の新著『賭ける魂』(講談社現代新書)は、おもに競馬を素材にしてギャンブルを哲学的にかたる希有な書である。


 ギャンブルは人生そのものではない。しかし人生に必要なものはすべてギャンブルが教えてくれた……と、著者はみずからの人生に照らし合わせながらかたるのである。


 たとえば実際の生活でおこったら眼もあてられないようなことが競馬ではしょっちゅうおこる。運をのがしたり、運にうらぎられたとき、ぼくたちはどのように対処すればいいかもギャンブルはおしえてくれる……と。


 著者は宗教人類学者にして競馬をはじめ、あらゆるギャンブルにも通じている。世界のギャンブルの修羅場をくぐってきた経験がいかんなくいかされて、読み物としてもなかなか興味ある内容になっている。


 さすがに宗教人類学者らしく、ギャンブルをめぐる人間の「心」に深く踏み込んでいるところが最大の読ませどころだろう。


 たとえば「人間は自分以外の力を必要とする」と言い、「何かを信じても勝てるとはかぎらないらないが、何かを信じないで賭ける人間はほぼ百パーセント負けてしまうのである」というところなど、いかにも宗教に関わる人間の真骨頂というべきか。


 最も興味深かったのは、日本人は「賭け」というものかんして、きわめて心がせまいという皮肉めいた指摘である。あまりにも「勝った」「負けた」にこだわりすぎる。ゴルフにいっても、コンサートにいっても、レストランで食事をしても、応分の費用がかかるのに、どうしてギャンブルの負けにこだわるのか……と疑問を投げかける。その裏で、ギャンブルを罪悪とみる風潮をあざ笑っているのであることは明らかである。  ギャンブルは勝ち負けではない……とまできっぱり言いきる。勝ち負けばかりにこだわらないで、もっと「賭け」そのものを楽しむべきだという論旨には説得力がある。


 商売柄、おもしろいとおもったのは、ヘミングウエイの『移動祝祭日』の考察である。競馬好きの人間には愉しい小説である。同作品はヘミングウエイの遺作であるが、出版されるまえに著者本人が自殺してしまっている。  作品の舞台はヘミングウエイ若かりしころのパリ、小説が売れないで、夫婦で競馬三昧にふけっていた不遇時代が描かれている。


 文豪といわれ、世界的に知られるヘミングウエイが、なぜ貧困のどんぞこにあったパリ時代を回想するような作品を遺したのか?  おそらく……。ヘミングウエイにとっては、功成り名を遂げた現在より、赤貧のパリ時代、競馬だけが救いだった日々のほうが、人生で最も幸せだったのではないか……と著者はいうのである。


 競馬好きならばこそ、知る人ぞ知る。なかなかおもしろい指摘で、、うなづけるものがる。  著者には『競馬の快楽』(講談社現代新書 1994年刊)という作品があり、本作はいわば続編というおもむきだが、ギャンブラの「心」をえぐる風変わりなギャンブル書としておもしろく読んだ。



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2008-08-02
ミナト・ヨコハマで国際女子マラソン!

 「東京国際女子マラソン」が来年から、「横浜国際女子マラソン」として衣替えして再スタートすることになった。(1日、日本陸連発表)

 同マラソンは世界ではじめて国際陸上競技連盟(IAAF)公認の女性限定マラソンとして1979年11月にスタート、今年で30回目を迎えるという伝統ある国際大会である。ところが2007年に東京マラソンがはじまると、日本陸連や東京都は、男子の東京国際マラソンともども統合して「東京マラソン」に一本化しようと考えた。

 男子の東京国際マラソンはふたつ返事ですぐにおうじたが、女子のほうはかんたんに首をふらなかった。世界初の国際陸連公認の女子マラソン……というプライドがゆるさなかったのである。

 そんなわけで当面は「東京国際女子マラソン」として別個に開催されてきた。当初はスポンサーの朝日新聞もかなり突っ張っていた。ところが2007年12月に突如として、同大会を今年の30回大会でおしまいにする……と発表した。心変わりの原因は、警視庁から「年2回もマラソンの警備なんかやってられるかい!」と引導をわたされたせいだという。(深読みすれば、何かと大言壮語するあの知事が蔭で糸をひいている? ということも……)

 かくして伝統ある大会も宙ぶらりんになっていた。今回の陸連発表では、そっくりヨコすべりのかたちで横浜で開催されることになったというわけである。

 そのかわり……というわけでもないが、毎年2月におこなわれてきた「横浜国際女子駅伝」は2009年を最後に廃止になる。

 駅伝シーズンの最後をかざる「横浜国際女子駅伝」は、毎年2月の第4日曜日、ミナト・ヨコハマの美しい風景を背景にして女子選手たちが華やかに駈けぬける。観るレースとしてはなかなかオシャレな大会である。

 国際女子駅伝としては最も伝統ある大会で、第1回は1983年におこなわれ、ソビエトが優勝している。日本女子の長距離が、弱くて世界レベルにほど遠かったころ、世界のトップを招いて、長距離・マラソンの強化をしようともくろんだ。そういう位置づけの大会だった。

 世界各国のナショナルチームと日本のナショナルチーム、横浜、さらには全国7つの地域選抜で覇を争う……。当初は世界各国からナショナルチームが数多くやってきたが、最近では5~6チームになってしまい。全体でも出場14~15チームはなってしまっているのが現状で、いまひとつもりあがりを欠いている。

 日本チームも世界のトップに胸を借りる……という意気込んでいたころにくらべて、いまひとつ気合いが入らない。ナショナルチームとはいえ、いつしかベストの布陣ではなく、いつしか国際親善だかが眼目の大会になってしまった。

 ぼくの「駅伝時評」では、このところ毎年、横浜国際女子駅伝の開催意図について疑問をなげかけてきた。  なぜなのか? 日本女子が、いまやオリンピックマラソンで3連覇をねらうほどになった。たくましくなった。もはや世界のトップと肩をならべるほどになり、胸を借りる必要なんかなくなってしまった。原因はそんなところにある。

 国際女子駅伝の衰退の原因はそんなところにある。伝統ある駅伝大会がなくなるのは、ちょっぴり心残りだが、もはや役割をおえたのだから、ま、いたしかたがないだろう。



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2008-07-29
なんのかんのと北京オリンピック

 良きにつけ、悪しきにつけ、いろいろ何かと話題沸騰している北京オリンピックも、いよいよ10日後にせまってきた。今回の開催地は同じアジアだから、時差とは無縁、おりから、ちょうど日本列島は夏やすみのまっただなか……。

 CO2がどうのこうのといっても、オフィスはともかく、家庭ではクールビズなんて無縁、ECOなんてまるで考えてないだろうから、冷房のよくきいた室、テレビの前でビールでも飲みながら、どなたさまもにわかにスポーツ評論家、コメンテーターになって、気温35度なんてぶっとばずほどにヒートアップしてもりあがることだろう。

 かくいうぼくも、また例外ではないだろう。おそらくmixiでもやたらとにわかスポーツコメンテーターがふえそうだから、専門(?)の陸上長距離・マラソンいがいはコメントしないことにしよう。

 昨28日、その北京五輪ににのぞむ日本選手団の結団式と壮行会が都内のホテルでひらかれた。選手団主将の鈴木桂治と旗手の福原愛ちゃんがテレビ画面をかざっていた。

 今回の日本選手団は576人(選手339人、役員237人)である。28競技にうちバスケとハンドボールをのぞく競技にすべて出場、前回のアテネをうわまわり、史上最多の選手団になるという。

 それにしても……。役員の数がすこし多すぎはしないか。競技役員だけではなく、個人種目の選手コーチやトレーナーなんかもふくまれるとするなら、これくらいになるのかもしれないが……。

 派遣選手団の規模をみるかぎり、ともかく日本はスポーツ大国であるらしい。選手のレベルは総じていまひとつだが、各競技団体は財政的にグローバルスタンダードをクリアしているから胸をはって世界に出て行くのであろう。

 同じ日、陸上競技の日本代表結団式も都内のホテルでおこなわれ、代表選手のうち選手33人と高野進コーチほかコーチ連が出席、陸連会長の河野洋平からハッパをかけれたらしい。

 その席上で男子短距離の朝原宣治(大阪ガス)と、女子3000m障害の早狩実紀(京都光華AC)が主将に指名されている。朝原と早狩はともに1972年うまれで、くしくも同志社大学では同級生である。

 学部こそちがうが、ぼくにとっては後輩にあたる……ということもあって、2人には心の応援をおくりたい。とくに早狩は中学時代から全国女子駅伝の京都の代表で活躍、駅伝時評子としてはとりわけ思い入れが強いのである。

 それにしても……。朝原も早狩もすでにして30半ばの年齢、若くはないがベストの戦いでテレビ観戦ファンの感動をもたらしてほしい……と願っている。



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2008-05-31
ダービーは名門の園遊会!迫真のドラマを待望!

ダービーはさしずめ名門の園遊会というべきか。今年もいづれ劣らぬ名馬18頭のそろいぶみである。(http://www.keibanihon.co.jp/free/denma_e2.pdf)どうも、これといった主役がみつからず、目移りしてしかたがないのは、皐月賞馬のキャプテントゥーレが戦線離脱してしまったせいかもしれない。どうやら中心馬不在、大混戦の様相である。

 NHKマイルCの覇者ディープスカイが人気を集めているが、どんなものだろうか?  同じアグネスタキオン産駒ならばトライアルの青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドのほうではないか?
 
 ところが……。ディープスカイは毎日杯で青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドに圧勝しているうえに、MHKマイルCも制して、能力上位をいやがうえにもみせつけた。人気になるのはそんなところから……だろう。ま、当然といえば当然である。

 だが……。ディープスカイは距離適性に疑問があるうえに、NHKマイルGから……というローテーションがちょいと気に入らない。

 話題の馬がもう一頭いる。ダートで圧倒的な強さをみせつけているサクセスブロッケンである。まあ、これなんかは、名門の園遊会にまちがってまぎれこんだ裏社会の顔役といったところで、芝生ではお呼びではないだろう。

 皐月賞組ではレインボーベガサス、タカミカヅチが不気味、3着だったマイネルチャールズは2400mではちょっとムリだろうとみておく。

 ほかに気になるところをあげれば、ショナンアルバと青葉賞2着、3着のクリスタルウイングとモンテクリスエスだが、馬券はそこまで手がとどきそうにない。

 最終的にはアドマイヤコマンド、レインボーベガサス、タカミカヅチ、ショナンアルバの4頭にしぼりたいが、ショウナンアルパのワクがあまりにも外すぎる。思いきってショウナンを切り捨てて、クリスタルウイングとモンテクリスエスと入れ替えることにする。

▽3連単 (4,8,10)→(4.8.10)→(4,6,8,10,18)  18点
▽3連複  4,6,8,10,18 BOX 10点

 ダービのようなレースになれば、かならず、まるで園遊会の取り仕切り屋のようにピエロの役割を買って出るものがいる。展開をかきまわして攪乱する狂言まわし……。今回はアグネススターチとみる。ほかにハナにこだわる馬もいないので単騎で大逃げに打って出るはずだ。

 それとも外からショウナナルパが行って、テンが早くなるのか? ともかく、どの陣営もひそかにピエロを演じるのは誰なのか? いまごろ、あれやこれやと推理しながら、自分の作戦を組み立てていることだろう。

 残念なことに競馬や芝居ではないから、ゲートが開くまでキャスティングはまたたくわからないのである。

 馬券を買うぼくたちファンも、展開をああでもない、こうでもない……と考えているうちに、いつも日付が変わってしまうのである。

 あれやこれやと推理を重ねながら、当日の場外締め切りまでにはひとつの結論に達するのだが、一方では、心のすみでそれとは別の迫真のドラマを待望している。

 つまり……。現実のレースが自分の予想をとてつもなく裏切ってくれることを、ひそかにのぞんでいるのである。競馬ファンとというものはとかくそういう自虐的な側面がある。



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2008-05-30
骨太な作品! 描写に迫力!

 小林多喜二の小説『蟹工船(かにこうせん)・党生活者』(新潮文庫)が、作者没後75年にあたる今年になって、突如として息を吹きかえした。古典としては異例の売れ行きだという。

 「蟹工船」は、1929年に小林多喜二が発表したもので、プロレタリア文学の代表的作品といわれている。国際的にも高い評価を受けており、プロレタリア文学としてはめずらしく各国語に翻訳されている。

 作品の舞台は極寒のカムチャツカの沖、蟹を獲って缶詰に加工する蟹工船「博光丸」には、各地からやってきたさまざまな出稼ぎ労働者が乗り組んでいる。高価な蟹缶は、かれら低賃金で酷使される季節労働者によって生産されている。蟹工船は海上にうかぶ巨大な牢獄にひとしかった。

 高価な蟹缶をつくっているのはかれら労働者にもかかわらず、利益のほとんどは蟹工船の持主である大資本家の手におちてゆく。船の監督者は非情そのもの、労働者たちを人間あつかいしない。容赦なく懲罰を加え、暴力や虐待をうける労働者たちは次つぎに過労と病気でで倒れてゆく。

 初めのうちは誰もがあきらめていたが、あまりの仕打ちに耐えかねて、やがて人間的な待遇をもとめて立ちあがる。指導者のもと団結してストライキに踏み切るのである。

 だが、経営者側にある監督者たちは事態をみとめるわけもなく、帝国海軍が介入してきて騒動の指導者達は検挙されてしまうのである。国家というものは、名もない国民を守ってくれるものと信じていたにもかかわらず、国は軍をつかって資本家の側に立った。そういう事態をまえにして、労働者たちは目覚めて、さらにはげしい闘争に立ち上がる。ざっとこんな内容である。

 どうして、突如この時期ににわかに売れ出したのか? 就職氷河期世代ゆえのことではないかという向きもあるようだ。ワーキングプアに代表されているように、雇用不安定な労働者が親近感をもったのではないかというのだが、それは、おそらく、ちがうだろう。

 ひとえに作品のもつ圧倒的な力ゆえのことで、時を経て火を噴いたというべきだろう。たとえば次のくだりなどはなんど読んでも圧倒されてしまう。とくに描写がすばらしいのである。


「祝津(しゅくつ)の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧(ガス)の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫(こうぼう)を何海浬(かいり)もサッと引いた。  留萌(るもい)の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。漁夫や雑夫は蟹の鋏(はさみ)のようにかじかんだ手を時々はすがいに懐(ふところ)の中につッこんだり、口のあたりを両手で円(ま)るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。が、稚内(わっかない)に近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。――風がマストに当ると不吉に鳴った。鋲(びょう)がゆるみでもするように、ギイギイと船の何処かが、しきりなしにきしんだ。宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴しい力でグイと持ち上げられる。船が一瞬間宙に浮かぶ。――が、ぐウと元の位置に沈む。エレヴエターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをその度(たび)に感じた。雑夫は黄色になえて、船酔らしく眼だけとんがらせて、ゲエ、ゲエしていた。  波のしぶきで曇った円るい舷窓(げんそう)から、ひょいひょいと樺太(からふと)の、雪のある山並の堅い線が見えた。然(しか)しすぐそれはガラスの外へ、アルプスの氷山のようにモリモリとむくれ上ってくる波に隠されてしまう。寒々とした深い谷が出来る。それが見る見る近付いてくると、窓のところへドッと打ち当り、砕けて、ザアー……と泡立つ。そして、そのまま後へ、後へ、窓をすべって、パノラマのように流れてゆく。船は時々子供がするように、身体を揺(ゆす)った。棚からものが落ちる音や、ギ――イと何かたわむ音や、波に横ッ腹がドブ――ンと打ち当る音がした。――その間中、機関室からは機関の音が色々な器具を伝って、直接(じか)に少しの震動を伴ってドッ、ドッ、ドッ……と響いていた。時々波の背に乗ると、スクリュが空廻りをして、翼で水の表面をたたきつけた。」


 昨今のヤワな小説に食傷気味な読者が、たまたま骨太な本格小説に出会った。それが「蟹工船」だった。社会現象とまでいわれる狂い咲きは、いわば犬も歩けば棒に当たる現象ではないか……。

(「蟹工船」は「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html)で読みことができる)



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2008-05-29
不肖の娘と孫! 名人はあの世で断腸の思い!

「なんでも、はじめは、やったことがないから、大そうな気がするものです。それを、まあこんな事までしなくてはならないのか、と思ったら、もうあと厭になるだけで、これでは損です。一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえのことになって、はじめ、どうしてあんなにたいそうに思ったのか、おかしくなります。」

 なかなか味わいの深い言葉である。いったい誰の手になるものなのか? ヒントをひとつ差しあげよう。茶懐石などの手法をとりいれて、日本料理のグレードアップに大きな役割を果たし、料理人として史上初めて文化功労者となった人……。

 もうひとつ……。日本料理の名亭「吉兆」の創業者……といえば、もうおわかりだろう。東京サミットの料理担当にもえらばれ、世界的にも知られる料理人・湯木貞一である。

 冒頭にかかげた一文は湯木貞一著『吉兆味ばなし』(暮らしの手帖社)から抜粋したもので、「高野どうふをもどす」というくだりの一部である。

 先に食品偽装表示などが問題になった船場吉兆の社長・湯木佐知子は湯木貞一の三女にあたる。昨秋からの相次ぐ不祥事で民事再生法にすがってしがみついていたが、とうとう5月の28日になって、再建を断念して廃業にふみきることになった。

「食べ残し」の使い回しという一流料亭としては考えられない不祥事が、次つぎに明るみに出てきては、、どうしようもなかろう。「ささやき女将」こと三女の社長は「のれんにあぐらいをかいていた」と謝罪したが、事はそういう問題ではなかろう。飲食店として、基本的なモラルにかかわる問題なのである。

 船場吉兆の経営者として問題を起こしたのは娘や孫どもだが、どうもオヤジさんが偉すぎたようである。名人としての含蓄のある教えも、不幸にして自身の子どもや孫には伝わらなかっただけでなく、ねじ曲げて理解されてしまったらしい。

 事もあろうに……。「偽装」にしても「食べ残しの使い回し」にしても、「一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえ……」というようにとらまえてしまった。

 名人の誉れ高いがゆえに湯木貞一は、バカな娘や孫どもを遺したのは、ひとえにわが不徳のいたすところ……と、きっとあの世で断腸の想いをかみしめていることだろう。



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