2008-11-20
秋深き!

 昨日、今日と冷えこみ、まさに、それにふさわしい気候となったが、おりから公開されている映画「秋深き」(http://www.akifukaki.com/)を観てきた。

 新宿歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」、待ち時間に座席を数えてみたら、定員は200あまり、だが午前11時40分からの上映では入場者ざっと30人あまりというところ。あまり映画をみることはないのだが、他人事ながら、これで商売になるのかなあ……と、首をかしげてしまった。

 映画「秋深き」は織田作之助の短編小説「秋深き」と「競馬」をもとにしたもので、大阪を舞台にした夫婦の純愛物語である。小説作品世界は昭和20年代から30年代というところだが、それを現代におきかえて、もうひとつの夫婦善哉をやろうというのだから、かなりムリがあるなあ……。それに現代は純愛ものなんてつくれるのかなあ……とおもっていたが、出来上がった作品をみると、おもいきり不器用に、そしてカッコわるくしか生きられない人間の姿が浮き彫りにされていて、なかなかのものである。

 さえない中学教師の寺田(八島智人)は仏具屋の両親のもとで平凡にくらしている。親は見合いをすすめるが、聞き入れるわけもなく、大阪・キタ新地のクラブ通いをつづけている。胸のおおきな美人ホステスの川尻一代にいれあげている。一代のほうも寺田を憎からずおもっていた。寺田はある日、意を決して「いっしょに仏壇に入ろう」と位牌を二つとりだしてプロポーズ、一代はあきれて大笑いするのだが、「ええよ」とうけいれる。

 家出同然で寺田は一代との同棲生活をはじめるのだが、彼女の周囲からはつねに男の影がただよってくる。寺田の嫉妬はだんだんと深まるなか、そんななかで彼女を競馬場に呼び出す葉書がとどく。差出人不明である。

 寺田は葉書に記されている園田競馬場へ、ひとりででかけてゆき、そこで「カズヨ 来い!」と叫びながら「1-4」(=かずよ)の馬券を買いつづける「インケツの松」という男と出会う。この男にちがいないと……。かれは「松」後をつけて銭湯やホテルまで尾行する。見とがめられて、いっしょに飲むが、ひょんなきっかけで、奇妙な友情がうまれる。

 寺田が帰るのをまっていた一代は「乳ガン」にかかったとつげる。切らずになおしたいと一代は懇願、入院して闘病生活にはいる。寺田は彼女のためならとなりふりかまわず神頼み、120万円もする怪しげな祈祷師の壺を手に入れたいと思う、だがそんな金があるわけもない。

 思いあまったかれは、生徒たちからあつめた修学旅行費の20万円をもって園田競馬場にゆくのである。あのインケツの松とおなじように「カズヨ 来い!」と叫びつつ、1-4の馬券をかいつづけるが、紙くずになるばかり……。

 そこへあのインケツの松がふらりとあらわれ、ささすがの松もそんな寺田をみてあきれはてるが、「わしもつきおうたるわ」と、ともに1-4を買いつづけ、ふたりして「カズヨ 来い!」とさけびつづける。

 とうとう最終レースをのこすのみとなっとき、「一万円ぐらいは残しとけ!」と松はいうのだが、寺田は「最後だから……」と大勝負に賭ける。レースは1番の馬が逃げて、4番の馬が差してきてそのままゴール。最後の最後で1-4で的中。ふたろは抱き合って、こおどりする。

 寺田はインケツの松にうながされて、ただちに病院にかけつけるが、一代はすでにして虫の息、寺田に抱かれて胸のなかで息絶えてしまう。……

 八島智人、佐藤江梨子といえばテレビのバラエティー番組でしかみたことがないが、なかなか好演している。八島はむろん「夫婦善哉」の森繁とはくらべものにならないが、ただの甘ってれと紙一重だが、まじめすぎて滑稽さがきわだつ哀しい男をうまく演じている。

 サトエリのほうも、ひたすら小さな幸せをもとめる一代、寺田をひたすら一途に愛する影のある女を演じて存在感を出している。ふたりの大阪弁もあまり違和感がない。バックにながれるギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」も哀愁をそそる。街のかたすみで、ひっそりと、よりそうように生きている姿には好感が持てた。

 インケツの松を演じる佐藤浩市、そのほか赤井英和、渋谷天外、山田スミ子など、達者の脇役がまわりをかためていて、関西人なら誰でも「わかる、わかる!」とうなずくような、泣き笑いのエピソードがいろいろあってこれも楽しめる。

 舞台となるのは大阪だが、上町台地、生国魂神社周辺や、北新地、天神橋筋商店街などの風景もなつかしい思いがした。



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2008-11-17
もうひとつの「おんなの戦い」

東京国際女子マラソンは世界で初めてうまれた国際陸上競技連盟(IAAF)公認の女子マラソンだった。

 東京都知事の石原某の謀略により「東京マラソン」へ統合されることになり、歴史と伝統ある大会ながら、昨日おこなわれた30回大会をもってうちきりとなった。

 最後の大会はくしくも、日本マラソンのあたらしいスターを模索する大会となった。レースは候補筆頭の渋井陽子が、かねてから彼女みずからいうようにスタートを「バーン」といって、中盤までは独り旅……。

 ところが魔の30㎞をすぎ、かつて高橋尚子が失速するなど、数かずのドラマを生んだあの37㎞すぎから坂でおおきくペースダウン、最後の最後であたらしい女王をめぐって、壮絶な戦いがくるひろげられた。

 選手たちの死闘とは別に、もうひとつ激しい「おんな戦い」がくりひろげられていたのをみのがすことはできなかった。第一放送車に解説者としてのっていたかつてのスーパーエース二人の新旧交代のバトルである。

 マラソン・駅伝の解説者といえば、男子は金哲彦、女子は増田明美……というのが定番で、いまや他の追従をゆるさない存在である。

 とくに女子の増田明美の解説は秀逸である。冷静にして的確、必要かつ十分にして過不足がない。ひごろからよほど綿密な取材をかさねているさまがよみとれる。話し方も必要以上に熱くならず、だからといって投げ捨てるとこももない。たいへん耳ごこちがいいのである。

 何よりも上から目線でモノをいうところがない。上位の選手だけでなく、後続の選手にたいしても気配りをわすれない。さすがに天国と地獄を体験したかつてのトップランナーならではの視点があって、なっとくさせられるケースが多いのである。

 彼女はかつて、有森裕子が引退したとき、解説者として危機をかんじていた。有森はなんといってもオリンピックのメダリストである。有森がくれば、自分の座はなくなるだろう……と、みずから冗談まじりに語っていた。

 だが、有森の第一線を退いてひさしいが、いまだに増田明美のメイン解説者の地位はゆるがない。それは彼女自身のただならぬ努力によるものであろうと思う。

 ところが……。こんどこそ、増田明美の王座にも風雲急を告げてきた。あの高橋尚子が参入してきたのである。

 昨日の第一放送車には増田明美のほかにゲスト解説者として高橋尚子がくわわって、ダブルキャストになっていたのだ。これはメイン解説者の世代交代を前提にしたテスト登板というみかたもできるのである。

 老練な増田明美と新参の高橋尚子、解説者としてくらべるのは酷な話である。だが近い将来、高橋尚子が増田明美にとってかわる可能性が十分あるとみなければなるまい。マラソン・駅伝のファンとしては経験ゆたかな増田明美のほうが安心して聴けるのだが、テレビ局側の判断基準はちがう。解説のなかみよりも視聴率に重きをおくだろう。

 増田明美と高橋尚子、昨日はたがいに、笑顔で相対していた。だが、おだやかな笑顔の裏側でくりひろげられる火花散る「おんなの戦い」がほのみえて、そちらのほうも、なかなかおもしろかった。



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