2008-05-31
ダービーは名門の園遊会!迫真のドラマを待望!

ダービーはさしずめ名門の園遊会というべきか。今年もいづれ劣らぬ名馬18頭のそろいぶみである。(http://www.keibanihon.co.jp/free/denma_e2.pdf)どうも、これといった主役がみつからず、目移りしてしかたがないのは、皐月賞馬のキャプテントゥーレが戦線離脱してしまったせいかもしれない。どうやら中心馬不在、大混戦の様相である。

 NHKマイルCの覇者ディープスカイが人気を集めているが、どんなものだろうか?  同じアグネスタキオン産駒ならばトライアルの青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドのほうではないか?
 
 ところが……。ディープスカイは毎日杯で青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドに圧勝しているうえに、MHKマイルCも制して、能力上位をいやがうえにもみせつけた。人気になるのはそんなところから……だろう。ま、当然といえば当然である。

 だが……。ディープスカイは距離適性に疑問があるうえに、NHKマイルGから……というローテーションがちょいと気に入らない。

 話題の馬がもう一頭いる。ダートで圧倒的な強さをみせつけているサクセスブロッケンである。まあ、これなんかは、名門の園遊会にまちがってまぎれこんだ裏社会の顔役といったところで、芝生ではお呼びではないだろう。

 皐月賞組ではレインボーベガサス、タカミカヅチが不気味、3着だったマイネルチャールズは2400mではちょっとムリだろうとみておく。

 ほかに気になるところをあげれば、ショナンアルバと青葉賞2着、3着のクリスタルウイングとモンテクリスエスだが、馬券はそこまで手がとどきそうにない。

 最終的にはアドマイヤコマンド、レインボーベガサス、タカミカヅチ、ショナンアルバの4頭にしぼりたいが、ショウナンアルパのワクがあまりにも外すぎる。思いきってショウナンを切り捨てて、クリスタルウイングとモンテクリスエスと入れ替えることにする。

▽3連単 (4,8,10)→(4.8.10)→(4,6,8,10,18)  18点
▽3連複  4,6,8,10,18 BOX 10点

 ダービのようなレースになれば、かならず、まるで園遊会の取り仕切り屋のようにピエロの役割を買って出るものがいる。展開をかきまわして攪乱する狂言まわし……。今回はアグネススターチとみる。ほかにハナにこだわる馬もいないので単騎で大逃げに打って出るはずだ。

 それとも外からショウナナルパが行って、テンが早くなるのか? ともかく、どの陣営もひそかにピエロを演じるのは誰なのか? いまごろ、あれやこれやと推理しながら、自分の作戦を組み立てていることだろう。

 残念なことに競馬や芝居ではないから、ゲートが開くまでキャスティングはまたたくわからないのである。

 馬券を買うぼくたちファンも、展開をああでもない、こうでもない……と考えているうちに、いつも日付が変わってしまうのである。

 あれやこれやと推理を重ねながら、当日の場外締め切りまでにはひとつの結論に達するのだが、一方では、心のすみでそれとは別の迫真のドラマを待望している。

 つまり……。現実のレースが自分の予想をとてつもなく裏切ってくれることを、ひそかにのぞんでいるのである。競馬ファンとというものはとかくそういう自虐的な側面がある。



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2008-05-30
骨太な作品! 描写に迫力!

 小林多喜二の小説『蟹工船(かにこうせん)・党生活者』(新潮文庫)が、作者没後75年にあたる今年になって、突如として息を吹きかえした。古典としては異例の売れ行きだという。

 「蟹工船」は、1929年に小林多喜二が発表したもので、プロレタリア文学の代表的作品といわれている。国際的にも高い評価を受けており、プロレタリア文学としてはめずらしく各国語に翻訳されている。

 作品の舞台は極寒のカムチャツカの沖、蟹を獲って缶詰に加工する蟹工船「博光丸」には、各地からやってきたさまざまな出稼ぎ労働者が乗り組んでいる。高価な蟹缶は、かれら低賃金で酷使される季節労働者によって生産されている。蟹工船は海上にうかぶ巨大な牢獄にひとしかった。

 高価な蟹缶をつくっているのはかれら労働者にもかかわらず、利益のほとんどは蟹工船の持主である大資本家の手におちてゆく。船の監督者は非情そのもの、労働者たちを人間あつかいしない。容赦なく懲罰を加え、暴力や虐待をうける労働者たちは次つぎに過労と病気でで倒れてゆく。

 初めのうちは誰もがあきらめていたが、あまりの仕打ちに耐えかねて、やがて人間的な待遇をもとめて立ちあがる。指導者のもと団結してストライキに踏み切るのである。

 だが、経営者側にある監督者たちは事態をみとめるわけもなく、帝国海軍が介入してきて騒動の指導者達は検挙されてしまうのである。国家というものは、名もない国民を守ってくれるものと信じていたにもかかわらず、国は軍をつかって資本家の側に立った。そういう事態をまえにして、労働者たちは目覚めて、さらにはげしい闘争に立ち上がる。ざっとこんな内容である。

 どうして、突如この時期ににわかに売れ出したのか? 就職氷河期世代ゆえのことではないかという向きもあるようだ。ワーキングプアに代表されているように、雇用不安定な労働者が親近感をもったのではないかというのだが、それは、おそらく、ちがうだろう。

 ひとえに作品のもつ圧倒的な力ゆえのことで、時を経て火を噴いたというべきだろう。たとえば次のくだりなどはなんど読んでも圧倒されてしまう。とくに描写がすばらしいのである。


「祝津(しゅくつ)の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧(ガス)の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫(こうぼう)を何海浬(かいり)もサッと引いた。  留萌(るもい)の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。漁夫や雑夫は蟹の鋏(はさみ)のようにかじかんだ手を時々はすがいに懐(ふところ)の中につッこんだり、口のあたりを両手で円(ま)るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。が、稚内(わっかない)に近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。――風がマストに当ると不吉に鳴った。鋲(びょう)がゆるみでもするように、ギイギイと船の何処かが、しきりなしにきしんだ。宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴しい力でグイと持ち上げられる。船が一瞬間宙に浮かぶ。――が、ぐウと元の位置に沈む。エレヴエターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをその度(たび)に感じた。雑夫は黄色になえて、船酔らしく眼だけとんがらせて、ゲエ、ゲエしていた。  波のしぶきで曇った円るい舷窓(げんそう)から、ひょいひょいと樺太(からふと)の、雪のある山並の堅い線が見えた。然(しか)しすぐそれはガラスの外へ、アルプスの氷山のようにモリモリとむくれ上ってくる波に隠されてしまう。寒々とした深い谷が出来る。それが見る見る近付いてくると、窓のところへドッと打ち当り、砕けて、ザアー……と泡立つ。そして、そのまま後へ、後へ、窓をすべって、パノラマのように流れてゆく。船は時々子供がするように、身体を揺(ゆす)った。棚からものが落ちる音や、ギ――イと何かたわむ音や、波に横ッ腹がドブ――ンと打ち当る音がした。――その間中、機関室からは機関の音が色々な器具を伝って、直接(じか)に少しの震動を伴ってドッ、ドッ、ドッ……と響いていた。時々波の背に乗ると、スクリュが空廻りをして、翼で水の表面をたたきつけた。」


 昨今のヤワな小説に食傷気味な読者が、たまたま骨太な本格小説に出会った。それが「蟹工船」だった。社会現象とまでいわれる狂い咲きは、いわば犬も歩けば棒に当たる現象ではないか……。

(「蟹工船」は「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html)で読みことができる)



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2008-05-29
不肖の娘と孫! 名人はあの世で断腸の思い!

「なんでも、はじめは、やったことがないから、大そうな気がするものです。それを、まあこんな事までしなくてはならないのか、と思ったら、もうあと厭になるだけで、これでは損です。一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえのことになって、はじめ、どうしてあんなにたいそうに思ったのか、おかしくなります。」

 なかなか味わいの深い言葉である。いったい誰の手になるものなのか? ヒントをひとつ差しあげよう。茶懐石などの手法をとりいれて、日本料理のグレードアップに大きな役割を果たし、料理人として史上初めて文化功労者となった人……。

 もうひとつ……。日本料理の名亭「吉兆」の創業者……といえば、もうおわかりだろう。東京サミットの料理担当にもえらばれ、世界的にも知られる料理人・湯木貞一である。

 冒頭にかかげた一文は湯木貞一著『吉兆味ばなし』(暮らしの手帖社)から抜粋したもので、「高野どうふをもどす」というくだりの一部である。

 先に食品偽装表示などが問題になった船場吉兆の社長・湯木佐知子は湯木貞一の三女にあたる。昨秋からの相次ぐ不祥事で民事再生法にすがってしがみついていたが、とうとう5月の28日になって、再建を断念して廃業にふみきることになった。

「食べ残し」の使い回しという一流料亭としては考えられない不祥事が、次つぎに明るみに出てきては、、どうしようもなかろう。「ささやき女将」こと三女の社長は「のれんにあぐらいをかいていた」と謝罪したが、事はそういう問題ではなかろう。飲食店として、基本的なモラルにかかわる問題なのである。

 船場吉兆の経営者として問題を起こしたのは娘や孫どもだが、どうもオヤジさんが偉すぎたようである。名人としての含蓄のある教えも、不幸にして自身の子どもや孫には伝わらなかっただけでなく、ねじ曲げて理解されてしまったらしい。

 事もあろうに……。「偽装」にしても「食べ残しの使い回し」にしても、「一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえ……」というようにとらまえてしまった。

 名人の誉れ高いがゆえに湯木貞一は、バカな娘や孫どもを遺したのは、ひとえにわが不徳のいたすところ……と、きっとあの世で断腸の想いをかみしめていることだろう。



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