2009-08-25
ベルリン世界陸上 女子マラソン観戦記

 ベルリン世界陸上の掉尾を彩る女子マラソン、テレビでとっくりと観戦した。

 世界陸上のマラソンコースは、通常の「ベルリンマラソン」のコースとちがい、まさにベルリンの名所めぐりというべき行程だという話だったが、ブランデンブルク門をスタートしてゴールする周回コース。レースのゆくえとは別に、とっくり市街観光も堪能させてもらった。

 真夏のマラソンゆえのことだろう。フタをあけてみると女子もまた前日の男子とおなじように世界のトップクラスは出てこなかった。みんな秋からはじまる高額の賞金がかかるマラソンレースをねらっていて、真夏でシンドイだけの世界選手権などには出てこないのである。

 ラドクリフもヌデレバもディタもミキテンコもいなかった。さらに日本では実力、実績ナンバーワンの渋井陽子がケガで欠場してしまった。

 直前になって主力不在で大混戦の様相、このような弱メンでメダルに手が届かなくては日本の女子マラソンにもはや前途はないとみて、今回のレースで将来を占いながら、観戦していた。

 路面温度は38度をこえるという暑さのなかでレースははじまったが、予想したとおりスピード勝負のレースにはならなかった。5㎞のラップが17:40というから、これでは2時間30分をこえてしまう。超スローペースになったのはひとえに中心不在のせいである。

 トップ集団は30人ぐらいの大集団でたんたんとすすむ。日本の4選手はみんなトップ集団からこぼれおちることもなかった。だが、同じようにトップ集団にはいっていても、尾崎好美、加納由理の2人と赤羽有紀子、藤永佳子の二人では、はっきりと明暗が分かれた。

 尾崎と加納は前半、集団のどまんなかにはいって、外国人選手にくらべれば背の低いせいもあるが、ほとんどどこにいるのかもわからない存在だった。ムダなエネルギーを使わないようにして、力を温存していたのである。

 赤羽と藤永は出入りの激しいレースぶりだった。藤永は途中でひとたびトップ集団から置いてゆかれそうになった。とくに前半はトップのペースがあがると、じりじりと遅れて集団からこぼれ落ちそうになる。位置どり、反応のしかたが悪いのが眼についた。

 意外だったのは赤羽有紀子である。日本人のなかではトップランクの期待がかけられていたが、結果的にはまったく躰がうごいていなかった。(後に知るところでは20㎞あたりから脱水症状にさいなまれていたらしい)

 5㎞までは集団の向かって左側(歩道より)の前方につけていて、いい位置どりだなあ……と思っていたが、10㎞すぎからは、集団の後方にさがってしまい、先頭がペースアップするだびに、じりじりと遅れ出す。集団の動きにまったく反応できない。動きが鈍いというほかなかった。離されると追っかけて、また集団にもどるのだが、しばらくするとまた離される。そういうことを繰り返していてはエネルギーの消耗がはげしくなるのはあたりまえのことである。

 藤永と赤羽の走りは、集団のなかでひたすらエネルギーの温存につとめている尾崎と加納と好対照をなしていた。

 かくして期待の赤羽は30㎞手前で、湯だったようになり、全身から力がぬけてしまった状態、まるで夢遊病者のように躰が浮きはじめてみるみるうちに失速、彼女のレースはそこでおわってしまった。

 潜在能力はあるのだがマラソン経験も未熟で、初の国際マラソンである。渋井の欠場で期待を一身に背負ったゆえの気負いもあったのだろう。さらに8月には軽度だが足を痛めていたとも聞く。

 さらに暑さのせいもあったかもしれない。惨敗の原因はわからないが、マラソンというのはデリケートな競技だなあ……とあらてめて思ってしまった。

 勝負どころでは藤永も遅れ、最後に中国2人、エチオピア、日本2人がのこり、尾崎が果敢に仕掛けて、最後は中国、エチオピア、日本のメダル争い。40㎞手前では中国の期待の新鋭・白雪と尾崎が抜けだしてマッチレースとなった。

 勝負はブランデングブルグ門を目前にしたのこり2㎞あたりで決した。中国の天才ランナー・白雪がスパートをかけると、尾崎にはもう追う余力はなかった。最後の勝負どころでは20歳の若さがモノをいったというべきか。

 敗れはしたが尾崎好美は大健闘したといっていいだろう。持ちタイムからみて日本人4人のなかでは上位にきて当然だが、地味で目立たない存在だっただけに、メディアはまったく注目していなかった。彼女の快走は、そういうメディアのありかたへの反逆というものであろう。

 テレビを観ていて、ちょっとおもしろい光景だとおもったのは、30㎞すぎだったとおもうが、尾崎が給水所でスペシャルドリンクを取り損ねた。

 そのときである。給水所にいた男がドリンクボトルをもって猛ダッシュ、たちまち追いついて並走、かれは尾崎に追いついて手渡したのである。かくして尾崎は無事に給水することが出きたのだが、尾崎にドリンクをとどけたのが、男子3000障害に出場した岩水嘉孝だったという。女子であるとはいえレース中のマラソンランナーに追いつくのは至難の業である。

 試合を終えた日本人選手はマラソンのサポートに回っていたらしい。岩永は予選で落選したが尾崎の日本人初のメダル獲りに、みごと貢献したといういみで、讃えられていいだろう。さすがは箱根(順天堂大時代は箱根駅伝のエースだった)で名を馳せたランナーだけのことある。



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