2008-11-20
秋深き!

 昨日、今日と冷えこみ、まさに、それにふさわしい気候となったが、おりから公開されている映画「秋深き」(http://www.akifukaki.com/)を観てきた。

 新宿歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」、待ち時間に座席を数えてみたら、定員は200あまり、だが午前11時40分からの上映では入場者ざっと30人あまりというところ。あまり映画をみることはないのだが、他人事ながら、これで商売になるのかなあ……と、首をかしげてしまった。

 映画「秋深き」は織田作之助の短編小説「秋深き」と「競馬」をもとにしたもので、大阪を舞台にした夫婦の純愛物語である。小説作品世界は昭和20年代から30年代というところだが、それを現代におきかえて、もうひとつの夫婦善哉をやろうというのだから、かなりムリがあるなあ……。それに現代は純愛ものなんてつくれるのかなあ……とおもっていたが、出来上がった作品をみると、おもいきり不器用に、そしてカッコわるくしか生きられない人間の姿が浮き彫りにされていて、なかなかのものである。

 さえない中学教師の寺田(八島智人)は仏具屋の両親のもとで平凡にくらしている。親は見合いをすすめるが、聞き入れるわけもなく、大阪・キタ新地のクラブ通いをつづけている。胸のおおきな美人ホステスの川尻一代にいれあげている。一代のほうも寺田を憎からずおもっていた。寺田はある日、意を決して「いっしょに仏壇に入ろう」と位牌を二つとりだしてプロポーズ、一代はあきれて大笑いするのだが、「ええよ」とうけいれる。

 家出同然で寺田は一代との同棲生活をはじめるのだが、彼女の周囲からはつねに男の影がただよってくる。寺田の嫉妬はだんだんと深まるなか、そんななかで彼女を競馬場に呼び出す葉書がとどく。差出人不明である。

 寺田は葉書に記されている園田競馬場へ、ひとりででかけてゆき、そこで「カズヨ 来い!」と叫びながら「1-4」(=かずよ)の馬券を買いつづける「インケツの松」という男と出会う。この男にちがいないと……。かれは「松」後をつけて銭湯やホテルまで尾行する。見とがめられて、いっしょに飲むが、ひょんなきっかけで、奇妙な友情がうまれる。

 寺田が帰るのをまっていた一代は「乳ガン」にかかったとつげる。切らずになおしたいと一代は懇願、入院して闘病生活にはいる。寺田は彼女のためならとなりふりかまわず神頼み、120万円もする怪しげな祈祷師の壺を手に入れたいと思う、だがそんな金があるわけもない。

 思いあまったかれは、生徒たちからあつめた修学旅行費の20万円をもって園田競馬場にゆくのである。あのインケツの松とおなじように「カズヨ 来い!」と叫びつつ、1-4の馬券をかいつづけるが、紙くずになるばかり……。

 そこへあのインケツの松がふらりとあらわれ、ささすがの松もそんな寺田をみてあきれはてるが、「わしもつきおうたるわ」と、ともに1-4を買いつづけ、ふたりして「カズヨ 来い!」とさけびつづける。

 とうとう最終レースをのこすのみとなっとき、「一万円ぐらいは残しとけ!」と松はいうのだが、寺田は「最後だから……」と大勝負に賭ける。レースは1番の馬が逃げて、4番の馬が差してきてそのままゴール。最後の最後で1-4で的中。ふたろは抱き合って、こおどりする。

 寺田はインケツの松にうながされて、ただちに病院にかけつけるが、一代はすでにして虫の息、寺田に抱かれて胸のなかで息絶えてしまう。……

 八島智人、佐藤江梨子といえばテレビのバラエティー番組でしかみたことがないが、なかなか好演している。八島はむろん「夫婦善哉」の森繁とはくらべものにならないが、ただの甘ってれと紙一重だが、まじめすぎて滑稽さがきわだつ哀しい男をうまく演じている。

 サトエリのほうも、ひたすら小さな幸せをもとめる一代、寺田をひたすら一途に愛する影のある女を演じて存在感を出している。ふたりの大阪弁もあまり違和感がない。バックにながれるギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」も哀愁をそそる。街のかたすみで、ひっそりと、よりそうように生きている姿には好感が持てた。

 インケツの松を演じる佐藤浩市、そのほか赤井英和、渋谷天外、山田スミ子など、達者の脇役がまわりをかためていて、関西人なら誰でも「わかる、わかる!」とうなずくような、泣き笑いのエピソードがいろいろあってこれも楽しめる。

 舞台となるのは大阪だが、上町台地、生国魂神社周辺や、北新地、天神橋筋商店街などの風景もなつかしい思いがした。



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2008-11-17
もうひとつの「おんなの戦い」

東京国際女子マラソンは世界で初めてうまれた国際陸上競技連盟(IAAF)公認の女子マラソンだった。

 東京都知事の石原某の謀略により「東京マラソン」へ統合されることになり、歴史と伝統ある大会ながら、昨日おこなわれた30回大会をもってうちきりとなった。

 最後の大会はくしくも、日本マラソンのあたらしいスターを模索する大会となった。レースは候補筆頭の渋井陽子が、かねてから彼女みずからいうようにスタートを「バーン」といって、中盤までは独り旅……。

 ところが魔の30㎞をすぎ、かつて高橋尚子が失速するなど、数かずのドラマを生んだあの37㎞すぎから坂でおおきくペースダウン、最後の最後であたらしい女王をめぐって、壮絶な戦いがくるひろげられた。

 選手たちの死闘とは別に、もうひとつ激しい「おんな戦い」がくりひろげられていたのをみのがすことはできなかった。第一放送車に解説者としてのっていたかつてのスーパーエース二人の新旧交代のバトルである。

 マラソン・駅伝の解説者といえば、男子は金哲彦、女子は増田明美……というのが定番で、いまや他の追従をゆるさない存在である。

 とくに女子の増田明美の解説は秀逸である。冷静にして的確、必要かつ十分にして過不足がない。ひごろからよほど綿密な取材をかさねているさまがよみとれる。話し方も必要以上に熱くならず、だからといって投げ捨てるとこももない。たいへん耳ごこちがいいのである。

 何よりも上から目線でモノをいうところがない。上位の選手だけでなく、後続の選手にたいしても気配りをわすれない。さすがに天国と地獄を体験したかつてのトップランナーならではの視点があって、なっとくさせられるケースが多いのである。

 彼女はかつて、有森裕子が引退したとき、解説者として危機をかんじていた。有森はなんといってもオリンピックのメダリストである。有森がくれば、自分の座はなくなるだろう……と、みずから冗談まじりに語っていた。

 だが、有森の第一線を退いてひさしいが、いまだに増田明美のメイン解説者の地位はゆるがない。それは彼女自身のただならぬ努力によるものであろうと思う。

 ところが……。こんどこそ、増田明美の王座にも風雲急を告げてきた。あの高橋尚子が参入してきたのである。

 昨日の第一放送車には増田明美のほかにゲスト解説者として高橋尚子がくわわって、ダブルキャストになっていたのだ。これはメイン解説者の世代交代を前提にしたテスト登板というみかたもできるのである。

 老練な増田明美と新参の高橋尚子、解説者としてくらべるのは酷な話である。だが近い将来、高橋尚子が増田明美にとってかわる可能性が十分あるとみなければなるまい。マラソン・駅伝のファンとしては経験ゆたかな増田明美のほうが安心して聴けるのだが、テレビ局側の判断基準はちがう。解説のなかみよりも視聴率に重きをおくだろう。

 増田明美と高橋尚子、昨日はたがいに、笑顔で相対していた。だが、おだやかな笑顔の裏側でくりひろげられる火花散る「おんなの戦い」がほのみえて、そちらのほうも、なかなかおもしろかった。



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2008-09-23
からりと晴れて ドライブ日和!

 秋分の日……。おりから今年いちばんの秋日和である。(ただし朝のうちだけだったが……)こんな日はきまって早起きしてしまう。たぶん生来の貧乏性なのだろうな。

 朝のランニングもひときわ心地よかった。真夏から秋口にかけて、暑さののこっていた先週ぐらいまでは、走りが重かった。脚がうごいていなかった。今朝は不思議と躯がかるかった。

 ランニング途上でふとおもいたった。奥多摩あたりまでゆくか。かくして朝食後、これといってあてもなくクルマをだした。青梅から奥多摩へ……。朝はやいせいだろう。渋滞もなかった。奥多摩湖を半分ほど周回して、ライダーたちが群れて走るあの奥多摩周遊道路へ……。

 エアコンをきって、窓をあけて走る。いつも聴いているビーチボーイズのCDのうち、「僕らのカークラブ」をえらんで、おもいきってボリュームを少しあげてみた。まあ、そんなことができるのは山間の道路だけだろうな。

 都民の森の交差点をすこしすぎたあたりからだったろうか。おやっと、おもわず眼をみはるようなドライバーのうしろについた。

 車種はたしか日産のフェアレディー。まるで道路を這っているかのように、なめらかにすべってゆく。ゆっくりはしっているようだが、実際はそうではなくて、気がつくと車間がじりじりとひろがってゆくではないか。

 よくみるとカーブでもほとんどブレーキを踏まない。それでいてセンタラインを踏むこともなく、キッチリをコーナーをすりぬけてゆく。

 ブレーキランプが故障しているのではないか? 最初はそんなうたがいをもったが、そうではなかった。停車すべきところではちゃんととまる。

 ゆっくりとはしっているようだが、のろのろしているというのではなくて、行くべきところではサッ……とすばやく動くのである。

 奥多摩周遊道路から檜原街道へ……。武蔵五日市駅を左手にみて秋川街道へ、カーブの多い峠道はつづいたが、フェアレディー氏のハンドルワークには寸分のゆるぎもなかった。

 ホレボレするような水際だった運転にためいきをつきながら、ぼくはすっかり夢中になっていた。かれのすりぬけた車軌をなぞり、ブレーキをふまないコーナリングを実習していたのである。そして気がつくと、いつしか青梅市内までもどっていた。

 フェアレディー氏とは河辺あたりで別れたが、かれにしてみれば、きっといいめいわくだっただろう。うしろにぴったりつかれて、きっとウザイヤツ……と舌うちしていたにちがいない。



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2008-09-22
茶番劇 2幕目はあるのか!

 底がみえみえのバカバカしい振る舞いを「茶番劇」あるいはたんに「茶番」というのはご承知のとおりである。その由来は「茶番狂言」にある。

 茶番狂言とはなにか? 下手くそは役者が手近な小物をつかって、おもしろおかしいパフォーマンスや話芸をやって、安っぽいオチをつける。江戸時代の末期に歌舞伎で流行ったというのである。

 自民党の総裁選! 茶番劇といわずに何というのだろうか? 5人の候補者はそれぞれ自分に割り当てられた役どころを忠実に演じきっただけ。闇のフィクサーの書いた台本の筋書きをまったく逸脱することはなかった。

 年末のレコード大賞の受賞者が、当日の審査員の投票をまつまでもなく、すでに何ヶ月もまえから決まってしまっているのと同じように、アッソウさんの当選は公示まえから既定の事実であった。

 選挙をもりあげた浪漫派歌人のオマゴさん、和製ヒラリーを気取ったポテトチップスさん、総理大臣よりエラいと本気でおもっている大東京知事のムスコはん、さらにはクリスチャンでありながら軍事マニアの2世議員……。いずれもゴクロウさん……というわけで、それなりに手厚い褒賞にありつくのだろう。

 いまや茶番の小道具になってしまった総理大臣に誰がなろうとまったく興味はない。もっぱらの関心事といえば、茶番でソウリの椅子を手にしたアッソウさんが総理大臣をどのように演じるのかである。茶番で総理大臣になったのだから、やはり演技も茶番に終始してしまうのか。それとも茶番を脱して、大向こうから「よう、宰相!」と声がかかるように大変身をとげるのか!

 まずは総選挙でお手並み拝見である。あまりイチビって、くれぐれも、たとえば口害で墓穴を掘ってしまい、肝心の政策論争いぜんに敗着しないように……。他人事ながらやきもきしながら、それでいて固唾をのんで、心のどこかでハプニングを期待している。



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2008-09-10
風わたる秋!

 ひろい休耕地に秋桜が一面に咲きみだれていた。群生する色とりどりの花のうえをわたってくるかすかな風が汗ばんだ躯には心地よかった。
 
 爽やかな朝である。数日まえまで豪雨をもたらした空模様、あれは何だったのか。まるでウソのように晴れわたり、涼風がふきぬけている。ひさしぶりのランニング、気持ちがよかった。季節はいつしか秋もようである。

 いつしか……といったのには理由がある。今年は春から夏そして秋への移りなど、まるで無縁の日常だった。まもってやらねばならない、かよわき生命によりそって、まる5ヶ月、ひところは午も夜もなかった。

 晴れて解放されたのは昨日である。そして、一夜あけて今朝……。群生する秋桜をみて、秋なんだなあ……と、ふとわれにかえった……というわけなのである。

 この夏、ほとんで外界から隔離されて、まさに冬眠ならぬ夏眠しているうちに、わが日本ではおおきな異変がおきていた。伝統的なシステムがふたつも崩壊していた。

 ひとつは大相撲である。もはやなんでもあり状態になってしまったようである。朝青龍のお騒がせにはじまり、暴力・リンチ事件とつづき、さらにはこんどのドーピング疑惑にいたり、完全にトドメを刺されてしまった。

 もうひとつは自民党による政治である。一国の総理大臣が壁にぶちあたって、あっさり政権を投げ出してしまう。率先して困難に立ち向かい、若い人たちの模範にならねばならないリーダーが、あっさりと尻尾を巻いて逃げ出してしまう。そんなテイタラクで日本の未来なんてあるのかね。

 かくして総裁選という茶番劇がはじまり、候補者5人のうち誰かが跡目をひきつぐというわけだが、2度あることは3度ある……というから、またしても、どこかで「投げだし」て、3人目の無責任男になるやもしれぬ。

 11月には解散・総選挙らしいが、そんな末期的症状のたそがれ自民党に、もし野党が負けるようなことがあれば、日本の政治も完全に息の根がとまってしまうだろう。だからといって野党とて信頼するに足るというわけではないのだが……。

 いずれにしろ……。風わたる晩秋の総選挙で国民はどういう審判をくだすのか? それによって、国民は果たして「バカなのか、カシコイのか」、そして、この国のゆくえもはっきりとみえてくるだろう。そういういみでは、今年の秋は日本の近未来を決定すける分岐点になるのかもしれない。



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2008-08-13
咲きほこる花、消えゆく花!

 野口みずきが北京五輪マラソンを欠場する。各紙のニュースで報道されているとおり、左太ももの肉離れが発覚、その去就が注目されていたが、12日に出場が不可能と判断、日本陸連に出場辞退を申し出たというのである。

 もし野口が完調で出場すれば、女子で史上初の2連覇が濃厚だっただけに、マラソンファンとしてはたいへん残念である。しかし、もっとも悔しい想いをしているのは野口本人だろう。

 野口のケガは高野監督が「大腿(だいたい)二頭筋の肉離れと半腱様筋(はんけんようきん)の損傷」だという。野口のケガそのものについては驚きはない。 いつかは、このようなかたちで競技から去ってゆくのだろう……という予感があったからである。

 アスリートはすべからくケガと紙一重のところまで躯を追いこんでいる。そうでなければ国内予選ですらも勝てない。ましてや、国際大会やオリンピックとなればなおさらのことである。

 さらに野口のトレーニングは想像を絶するものがある。身長150㎝にもかかわらず豪快なストライド走法が持ち味である。マラソンランナーとしては常識やぶり、まさに革命的な走法というべきだが、その影には壮絶なる筋力トレーニングの積み重ねがあった。

 大レースになると負け知らず、鉄人といわれた野口も、この1~2年はつねに故障の影がちらついていた。マラソンランナーの選手寿命は短いとはいえ、まさか野口がここで消える……とは思わなかった。

 新聞報道をみて、驚きはなかったが、いかにも「儚いなあ……」と嘆息をつくほかなかった。女子柔道・谷本2連覇!の大見出しが踊る影で、2連覇をめざしながら、ひっそりと消えてゆく一輪の花があった……。



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2008-08-06
被爆者の声と伊藤明彦さん

 きょうは広島、3日後には長崎で原爆忌である。あれからすでにして63年……である。被爆者のうち、生きながらえた人たちも少なくなり、生存している人たちも高齢化がすすんでいる。

「やがて、被爆した人たちがひとりもいなくなる日がやってくる。そうなれば原爆の恐ろしさが完全に風化してしまう。だから被爆者自らが肉声でかたる被爆体験を記録にとどめ、後世にのこす必要があるのではないかと思ったのですよ」

 元長崎放送記者の伊藤明彦はそのようにかたった。かつてある本づくりの取材で訪問、話を聞いたときのことである。あのときの伊藤さんの表情を今もわすれられないでいる。

 伊藤さんは42年間にわたって全国を歩きまわり、1,000人をこえる被爆者の声を収録、その録音テープは951巻きにおよんだ。コンパクトば録音機材のない時代、重たいオープンリールの録音機をかついで被爆者をたずねてまわった。

 収録したテープは何年もかかって編集、コンパクトのテープやCDに編集、全国の図書館や学校など公共の移設に寄贈しつづけてきた。むろんどこからの援助もうけていない。すべて自費である。

 それにしても42年とは、とほうもない道のである。人生の最も熱い季節をすべて費やしたといっていいだろう。  マスターテープの寄贈先がきまったとき、伊藤さんはひとまず長い旅をおえたが、インタネットの時代になって、また、思い立ってあるきはじめた。さっそく協力者によって「被爆者の声」(http://www.geocities.jp/s20hibaku/)というサイトがつくられ、原爆被爆者284人の証言を集めたCD作品をパソコンで聞けるようになった。

 被爆者たちの声をアメリカの若者たちに聞かせたい……。インタネットならそれができる。協力者の手によって、英語字幕版がつくられ、いまでは全世界に配信されている。先日、その伊藤さんからメールがとどいた。

「伊藤明彦です。こんにちは。「被爆者の声」の英語字幕版「voshn.com」ですが、映像制作のプロのご協力により、CMを作成しYouTubeに投稿しました。 ご覧頂ければ幸いです。外国人のお友達にもご紹介下さいますよう。」

 英語字幕版(http://www.geocities.jp/s20hibaku/voshn/)は被爆者の肉声を耳で聞きながら、パソコンの画面ではその英訳が読めるという仕組みになっている。小刻みにクリックしなければならないのが、ちょっとめんどうだが、音声はすばらしいものにしあがっている。

 あと30年もすれば、すべての被爆者は地上から姿を消すだろう。だが伊藤さんのテープは貴重な歴史の証言として残るもし広島、長崎の体験をわすれるような事態がみえれば、伊藤さんのテープにおさめられた1000余人の声が厳しく断罪することだろう。



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2008-08-03


 植島啓司の新著『賭ける魂』(講談社現代新書)は、おもに競馬を素材にしてギャンブルを哲学的にかたる希有な書である。


 ギャンブルは人生そのものではない。しかし人生に必要なものはすべてギャンブルが教えてくれた……と、著者はみずからの人生に照らし合わせながらかたるのである。


 たとえば実際の生活でおこったら眼もあてられないようなことが競馬ではしょっちゅうおこる。運をのがしたり、運にうらぎられたとき、ぼくたちはどのように対処すればいいかもギャンブルはおしえてくれる……と。


 著者は宗教人類学者にして競馬をはじめ、あらゆるギャンブルにも通じている。世界のギャンブルの修羅場をくぐってきた経験がいかんなくいかされて、読み物としてもなかなか興味ある内容になっている。


 さすがに宗教人類学者らしく、ギャンブルをめぐる人間の「心」に深く踏み込んでいるところが最大の読ませどころだろう。


 たとえば「人間は自分以外の力を必要とする」と言い、「何かを信じても勝てるとはかぎらないらないが、何かを信じないで賭ける人間はほぼ百パーセント負けてしまうのである」というところなど、いかにも宗教に関わる人間の真骨頂というべきか。


 最も興味深かったのは、日本人は「賭け」というものかんして、きわめて心がせまいという皮肉めいた指摘である。あまりにも「勝った」「負けた」にこだわりすぎる。ゴルフにいっても、コンサートにいっても、レストランで食事をしても、応分の費用がかかるのに、どうしてギャンブルの負けにこだわるのか……と疑問を投げかける。その裏で、ギャンブルを罪悪とみる風潮をあざ笑っているのであることは明らかである。  ギャンブルは勝ち負けではない……とまできっぱり言いきる。勝ち負けばかりにこだわらないで、もっと「賭け」そのものを楽しむべきだという論旨には説得力がある。


 商売柄、おもしろいとおもったのは、ヘミングウエイの『移動祝祭日』の考察である。競馬好きの人間には愉しい小説である。同作品はヘミングウエイの遺作であるが、出版されるまえに著者本人が自殺してしまっている。  作品の舞台はヘミングウエイ若かりしころのパリ、小説が売れないで、夫婦で競馬三昧にふけっていた不遇時代が描かれている。


 文豪といわれ、世界的に知られるヘミングウエイが、なぜ貧困のどんぞこにあったパリ時代を回想するような作品を遺したのか?  おそらく……。ヘミングウエイにとっては、功成り名を遂げた現在より、赤貧のパリ時代、競馬だけが救いだった日々のほうが、人生で最も幸せだったのではないか……と著者はいうのである。


 競馬好きならばこそ、知る人ぞ知る。なかなかおもしろい指摘で、、うなづけるものがる。  著者には『競馬の快楽』(講談社現代新書 1994年刊)という作品があり、本作はいわば続編というおもむきだが、ギャンブラの「心」をえぐる風変わりなギャンブル書としておもしろく読んだ。



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2008-08-02
ミナト・ヨコハマで国際女子マラソン!

 「東京国際女子マラソン」が来年から、「横浜国際女子マラソン」として衣替えして再スタートすることになった。(1日、日本陸連発表)

 同マラソンは世界ではじめて国際陸上競技連盟(IAAF)公認の女性限定マラソンとして1979年11月にスタート、今年で30回目を迎えるという伝統ある国際大会である。ところが2007年に東京マラソンがはじまると、日本陸連や東京都は、男子の東京国際マラソンともども統合して「東京マラソン」に一本化しようと考えた。

 男子の東京国際マラソンはふたつ返事ですぐにおうじたが、女子のほうはかんたんに首をふらなかった。世界初の国際陸連公認の女子マラソン……というプライドがゆるさなかったのである。

 そんなわけで当面は「東京国際女子マラソン」として別個に開催されてきた。当初はスポンサーの朝日新聞もかなり突っ張っていた。ところが2007年12月に突如として、同大会を今年の30回大会でおしまいにする……と発表した。心変わりの原因は、警視庁から「年2回もマラソンの警備なんかやってられるかい!」と引導をわたされたせいだという。(深読みすれば、何かと大言壮語するあの知事が蔭で糸をひいている? ということも……)

 かくして伝統ある大会も宙ぶらりんになっていた。今回の陸連発表では、そっくりヨコすべりのかたちで横浜で開催されることになったというわけである。

 そのかわり……というわけでもないが、毎年2月におこなわれてきた「横浜国際女子駅伝」は2009年を最後に廃止になる。

 駅伝シーズンの最後をかざる「横浜国際女子駅伝」は、毎年2月の第4日曜日、ミナト・ヨコハマの美しい風景を背景にして女子選手たちが華やかに駈けぬける。観るレースとしてはなかなかオシャレな大会である。

 国際女子駅伝としては最も伝統ある大会で、第1回は1983年におこなわれ、ソビエトが優勝している。日本女子の長距離が、弱くて世界レベルにほど遠かったころ、世界のトップを招いて、長距離・マラソンの強化をしようともくろんだ。そういう位置づけの大会だった。

 世界各国のナショナルチームと日本のナショナルチーム、横浜、さらには全国7つの地域選抜で覇を争う……。当初は世界各国からナショナルチームが数多くやってきたが、最近では5~6チームになってしまい。全体でも出場14~15チームはなってしまっているのが現状で、いまひとつもりあがりを欠いている。

 日本チームも世界のトップに胸を借りる……という意気込んでいたころにくらべて、いまひとつ気合いが入らない。ナショナルチームとはいえ、いつしかベストの布陣ではなく、いつしか国際親善だかが眼目の大会になってしまった。

 ぼくの「駅伝時評」では、このところ毎年、横浜国際女子駅伝の開催意図について疑問をなげかけてきた。  なぜなのか? 日本女子が、いまやオリンピックマラソンで3連覇をねらうほどになった。たくましくなった。もはや世界のトップと肩をならべるほどになり、胸を借りる必要なんかなくなってしまった。原因はそんなところにある。

 国際女子駅伝の衰退の原因はそんなところにある。伝統ある駅伝大会がなくなるのは、ちょっぴり心残りだが、もはや役割をおえたのだから、ま、いたしかたがないだろう。



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2008-07-29
なんのかんのと北京オリンピック

 良きにつけ、悪しきにつけ、いろいろ何かと話題沸騰している北京オリンピックも、いよいよ10日後にせまってきた。今回の開催地は同じアジアだから、時差とは無縁、おりから、ちょうど日本列島は夏やすみのまっただなか……。

 CO2がどうのこうのといっても、オフィスはともかく、家庭ではクールビズなんて無縁、ECOなんてまるで考えてないだろうから、冷房のよくきいた室、テレビの前でビールでも飲みながら、どなたさまもにわかにスポーツ評論家、コメンテーターになって、気温35度なんてぶっとばずほどにヒートアップしてもりあがることだろう。

 かくいうぼくも、また例外ではないだろう。おそらくmixiでもやたらとにわかスポーツコメンテーターがふえそうだから、専門(?)の陸上長距離・マラソンいがいはコメントしないことにしよう。

 昨28日、その北京五輪ににのぞむ日本選手団の結団式と壮行会が都内のホテルでひらかれた。選手団主将の鈴木桂治と旗手の福原愛ちゃんがテレビ画面をかざっていた。

 今回の日本選手団は576人(選手339人、役員237人)である。28競技にうちバスケとハンドボールをのぞく競技にすべて出場、前回のアテネをうわまわり、史上最多の選手団になるという。

 それにしても……。役員の数がすこし多すぎはしないか。競技役員だけではなく、個人種目の選手コーチやトレーナーなんかもふくまれるとするなら、これくらいになるのかもしれないが……。

 派遣選手団の規模をみるかぎり、ともかく日本はスポーツ大国であるらしい。選手のレベルは総じていまひとつだが、各競技団体は財政的にグローバルスタンダードをクリアしているから胸をはって世界に出て行くのであろう。

 同じ日、陸上競技の日本代表結団式も都内のホテルでおこなわれ、代表選手のうち選手33人と高野進コーチほかコーチ連が出席、陸連会長の河野洋平からハッパをかけれたらしい。

 その席上で男子短距離の朝原宣治(大阪ガス)と、女子3000m障害の早狩実紀(京都光華AC)が主将に指名されている。朝原と早狩はともに1972年うまれで、くしくも同志社大学では同級生である。

 学部こそちがうが、ぼくにとっては後輩にあたる……ということもあって、2人には心の応援をおくりたい。とくに早狩は中学時代から全国女子駅伝の京都の代表で活躍、駅伝時評子としてはとりわけ思い入れが強いのである。

 それにしても……。朝原も早狩もすでにして30半ばの年齢、若くはないがベストの戦いでテレビ観戦ファンの感動をもたらしてほしい……と願っている。



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2008-05-31
ダービーは名門の園遊会!迫真のドラマを待望!

ダービーはさしずめ名門の園遊会というべきか。今年もいづれ劣らぬ名馬18頭のそろいぶみである。(http://www.keibanihon.co.jp/free/denma_e2.pdf)どうも、これといった主役がみつからず、目移りしてしかたがないのは、皐月賞馬のキャプテントゥーレが戦線離脱してしまったせいかもしれない。どうやら中心馬不在、大混戦の様相である。

 NHKマイルCの覇者ディープスカイが人気を集めているが、どんなものだろうか?  同じアグネスタキオン産駒ならばトライアルの青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドのほうではないか?
 
 ところが……。ディープスカイは毎日杯で青葉賞を勝ったアドマイヤコマンドに圧勝しているうえに、MHKマイルCも制して、能力上位をいやがうえにもみせつけた。人気になるのはそんなところから……だろう。ま、当然といえば当然である。

 だが……。ディープスカイは距離適性に疑問があるうえに、NHKマイルGから……というローテーションがちょいと気に入らない。

 話題の馬がもう一頭いる。ダートで圧倒的な強さをみせつけているサクセスブロッケンである。まあ、これなんかは、名門の園遊会にまちがってまぎれこんだ裏社会の顔役といったところで、芝生ではお呼びではないだろう。

 皐月賞組ではレインボーベガサス、タカミカヅチが不気味、3着だったマイネルチャールズは2400mではちょっとムリだろうとみておく。

 ほかに気になるところをあげれば、ショナンアルバと青葉賞2着、3着のクリスタルウイングとモンテクリスエスだが、馬券はそこまで手がとどきそうにない。

 最終的にはアドマイヤコマンド、レインボーベガサス、タカミカヅチ、ショナンアルバの4頭にしぼりたいが、ショウナンアルパのワクがあまりにも外すぎる。思いきってショウナンを切り捨てて、クリスタルウイングとモンテクリスエスと入れ替えることにする。

▽3連単 (4,8,10)→(4.8.10)→(4,6,8,10,18)  18点
▽3連複  4,6,8,10,18 BOX 10点

 ダービのようなレースになれば、かならず、まるで園遊会の取り仕切り屋のようにピエロの役割を買って出るものがいる。展開をかきまわして攪乱する狂言まわし……。今回はアグネススターチとみる。ほかにハナにこだわる馬もいないので単騎で大逃げに打って出るはずだ。

 それとも外からショウナナルパが行って、テンが早くなるのか? ともかく、どの陣営もひそかにピエロを演じるのは誰なのか? いまごろ、あれやこれやと推理しながら、自分の作戦を組み立てていることだろう。

 残念なことに競馬や芝居ではないから、ゲートが開くまでキャスティングはまたたくわからないのである。

 馬券を買うぼくたちファンも、展開をああでもない、こうでもない……と考えているうちに、いつも日付が変わってしまうのである。

 あれやこれやと推理を重ねながら、当日の場外締め切りまでにはひとつの結論に達するのだが、一方では、心のすみでそれとは別の迫真のドラマを待望している。

 つまり……。現実のレースが自分の予想をとてつもなく裏切ってくれることを、ひそかにのぞんでいるのである。競馬ファンとというものはとかくそういう自虐的な側面がある。



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2008-05-30
骨太な作品! 描写に迫力!

 小林多喜二の小説『蟹工船(かにこうせん)・党生活者』(新潮文庫)が、作者没後75年にあたる今年になって、突如として息を吹きかえした。古典としては異例の売れ行きだという。

 「蟹工船」は、1929年に小林多喜二が発表したもので、プロレタリア文学の代表的作品といわれている。国際的にも高い評価を受けており、プロレタリア文学としてはめずらしく各国語に翻訳されている。

 作品の舞台は極寒のカムチャツカの沖、蟹を獲って缶詰に加工する蟹工船「博光丸」には、各地からやってきたさまざまな出稼ぎ労働者が乗り組んでいる。高価な蟹缶は、かれら低賃金で酷使される季節労働者によって生産されている。蟹工船は海上にうかぶ巨大な牢獄にひとしかった。

 高価な蟹缶をつくっているのはかれら労働者にもかかわらず、利益のほとんどは蟹工船の持主である大資本家の手におちてゆく。船の監督者は非情そのもの、労働者たちを人間あつかいしない。容赦なく懲罰を加え、暴力や虐待をうける労働者たちは次つぎに過労と病気でで倒れてゆく。

 初めのうちは誰もがあきらめていたが、あまりの仕打ちに耐えかねて、やがて人間的な待遇をもとめて立ちあがる。指導者のもと団結してストライキに踏み切るのである。

 だが、経営者側にある監督者たちは事態をみとめるわけもなく、帝国海軍が介入してきて騒動の指導者達は検挙されてしまうのである。国家というものは、名もない国民を守ってくれるものと信じていたにもかかわらず、国は軍をつかって資本家の側に立った。そういう事態をまえにして、労働者たちは目覚めて、さらにはげしい闘争に立ち上がる。ざっとこんな内容である。

 どうして、突如この時期ににわかに売れ出したのか? 就職氷河期世代ゆえのことではないかという向きもあるようだ。ワーキングプアに代表されているように、雇用不安定な労働者が親近感をもったのではないかというのだが、それは、おそらく、ちがうだろう。

 ひとえに作品のもつ圧倒的な力ゆえのことで、時を経て火を噴いたというべきだろう。たとえば次のくだりなどはなんど読んでも圧倒されてしまう。とくに描写がすばらしいのである。


「祝津(しゅくつ)の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧(ガス)の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫(こうぼう)を何海浬(かいり)もサッと引いた。  留萌(るもい)の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。漁夫や雑夫は蟹の鋏(はさみ)のようにかじかんだ手を時々はすがいに懐(ふところ)の中につッこんだり、口のあたりを両手で円(ま)るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。が、稚内(わっかない)に近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。――風がマストに当ると不吉に鳴った。鋲(びょう)がゆるみでもするように、ギイギイと船の何処かが、しきりなしにきしんだ。宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴しい力でグイと持ち上げられる。船が一瞬間宙に浮かぶ。――が、ぐウと元の位置に沈む。エレヴエターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをその度(たび)に感じた。雑夫は黄色になえて、船酔らしく眼だけとんがらせて、ゲエ、ゲエしていた。  波のしぶきで曇った円るい舷窓(げんそう)から、ひょいひょいと樺太(からふと)の、雪のある山並の堅い線が見えた。然(しか)しすぐそれはガラスの外へ、アルプスの氷山のようにモリモリとむくれ上ってくる波に隠されてしまう。寒々とした深い谷が出来る。それが見る見る近付いてくると、窓のところへドッと打ち当り、砕けて、ザアー……と泡立つ。そして、そのまま後へ、後へ、窓をすべって、パノラマのように流れてゆく。船は時々子供がするように、身体を揺(ゆす)った。棚からものが落ちる音や、ギ――イと何かたわむ音や、波に横ッ腹がドブ――ンと打ち当る音がした。――その間中、機関室からは機関の音が色々な器具を伝って、直接(じか)に少しの震動を伴ってドッ、ドッ、ドッ……と響いていた。時々波の背に乗ると、スクリュが空廻りをして、翼で水の表面をたたきつけた。」


 昨今のヤワな小説に食傷気味な読者が、たまたま骨太な本格小説に出会った。それが「蟹工船」だった。社会現象とまでいわれる狂い咲きは、いわば犬も歩けば棒に当たる現象ではないか……。

(「蟹工船」は「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html)で読みことができる)



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2008-05-29
不肖の娘と孫! 名人はあの世で断腸の思い!

「なんでも、はじめは、やったことがないから、大そうな気がするものです。それを、まあこんな事までしなくてはならないのか、と思ったら、もうあと厭になるだけで、これでは損です。一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえのことになって、はじめ、どうしてあんなにたいそうに思ったのか、おかしくなります。」

 なかなか味わいの深い言葉である。いったい誰の手になるものなのか? ヒントをひとつ差しあげよう。茶懐石などの手法をとりいれて、日本料理のグレードアップに大きな役割を果たし、料理人として史上初めて文化功労者となった人……。

 もうひとつ……。日本料理の名亭「吉兆」の創業者……といえば、もうおわかりだろう。東京サミットの料理担当にもえらばれ、世界的にも知られる料理人・湯木貞一である。

 冒頭にかかげた一文は湯木貞一著『吉兆味ばなし』(暮らしの手帖社)から抜粋したもので、「高野どうふをもどす」というくだりの一部である。

 先に食品偽装表示などが問題になった船場吉兆の社長・湯木佐知子は湯木貞一の三女にあたる。昨秋からの相次ぐ不祥事で民事再生法にすがってしがみついていたが、とうとう5月の28日になって、再建を断念して廃業にふみきることになった。

「食べ残し」の使い回しという一流料亭としては考えられない不祥事が、次つぎに明るみに出てきては、、どうしようもなかろう。「ささやき女将」こと三女の社長は「のれんにあぐらいをかいていた」と謝罪したが、事はそういう問題ではなかろう。飲食店として、基本的なモラルにかかわる問題なのである。

 船場吉兆の経営者として問題を起こしたのは娘や孫どもだが、どうもオヤジさんが偉すぎたようである。名人としての含蓄のある教えも、不幸にして自身の子どもや孫には伝わらなかっただけでなく、ねじ曲げて理解されてしまったらしい。

 事もあろうに……。「偽装」にしても「食べ残しの使い回し」にしても、「一ぺんやったら、二度目はずっとらくになります。三度目はもう手に入って、こんなことは、あたりまえ……」というようにとらまえてしまった。

 名人の誉れ高いがゆえに湯木貞一は、バカな娘や孫どもを遺したのは、ひとえにわが不徳のいたすところ……と、きっとあの世で断腸の想いをかみしめていることだろう。



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2008-04-12
馬は苦しんで暴れながら死んでゆく

「馬の瞳や耳をみると、馬がどんな気持ちでいるか、わかる気がする。落ち着いてゆったりした気持ちであるか、ちょっと緊張ぎみか私のことなど目に入らず興奮真っただなかか……。」  

 渡辺はるみ著『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房 2002年刊)の一節である。全編がこんな調子でつづられている。馬をこよなく愛する人にしか、書けない文章である。

 著者はナイスネイチャなどを生んだ渡辺牧場の経営者夫人である。獣医をめざしているときに、実習で出会った馬の魅力のとりつかれ、とうとう大学を中退して牧場に嫁入りしてしまったという経歴をもつ。

 牧場で生まれる馬を、まるでわが子のような視点でとらまえ、生まれ、育ち、競走馬として巣立ってゆくさまを、愛といつくしみあふれる筆で切々とつづる。牧場のオカミさんの細腕繁盛記でもある。

 読者としてもっとも胸を打たれるのは、「自分の牧場でうまれた馬を最後までみとどけたい」という著者のなみなみならぬ姿勢である。  

 歌の文句にあるように、「ワラにまみれてヨ~、育てた栗毛」とはいえ、「今日は売られて街にゆく……」となれば、いくら愛着があっても、そこで今生の別れとなる……というのがふつうの生産者というものだろう。ところが著者は競走馬として引退したり、ケガや故障で廃用になった馬を、再び牧場にひきとって、最後までみまもってやろうとするのである。

 サラブレッド、競走馬は走れなくなればどうなるか? これが、あんがい知られているようで知られていない。馬は大切に世話してやれば30歳ぐらいまで生きるが、天寿を全うする馬はほとんどいないのが現実である。  

 種牡馬や繁殖牝馬、あるいは乗馬用など第二の人生を歩むことができるのは、ほんのひとにぎりで、ほとんどが殺されて「肉」になる。市場に出回っている食肉やペットフードの材料になっているのである。  なぜか? 

 馬一頭を生かしつづけるには多額の金がかかるのである。たとえば馬一頭養うとすると、あたりまえとはいえ一馬房を余分に使い、貴重な放牧地の面積と地力を消耗させることになる。さらに労賃、エサ代、寝ワラ代がかさむ。走れなくなった馬は赤字しか生まないのである。

 だから走れなくなれば廃用となり、ただちに家畜業者に売り渡され、食肉卸業者の手によって解体されてしまう。競走馬も牛や豚、鶏などと同じように経済的動物だという割り切りかたがそこにある。

 だが著者の渡辺はるみさんはちがう。自分の牧場から巣立った競走馬をつねに追っかけていて、廃用になったら牧場にひきとる。わが子のような生産馬は、やすらかな天国へ旅立つのを見まもりたい……というのである。

 そういう著者の思い入れは、時としてあまっちょろい感傷として、生産者として命取りになるやもしれない。自身の存立そのものを危うくすることにもなりかねない。けれども彼女はそんな決死の綱渡りで堪えている。そういう彼女の苦悩と葛藤が、理屈ではなく、具体的な日常を通して克明に描きだされている。

 たとえば……。引退した競走馬を積極的にひきとってきた渡辺牧場といえども、牧場がいっぱいになると、やむなくどれかの馬は処分しなければならなくなる。そんな場合、著者はしかたなく馬がなるべく苦しまないように、麻酔剤を使っての安楽死の方法を選択する。獣医の手をわずらせるから高額の費用がかかる。 次にかかげるのは文中の一節である。

「誕生日の早いヒットからやることにした。彼らは注射をされることには慣れていて、何とも思わない。口に一杯、好物をほおばりながら…。 鎮静剤の後、麻酔薬を注射してもらうと、ヒットは突然バタンと倒れた。」「薬剤を入れるとすぐに反応があり、最後は痙攣が起きて四肢をうーんという感じで伸ばし、息絶えた。」  

 その後、彼女自身がトラクターで遺体を運び、シャベルカーで穴を掘って埋葬する。まさに気が狂いそうなな状況である。けれども彼女自身は決して眼をそむけないで、周囲も自分をも客観的にみつめ、きびしく撃っている。

 競馬は「夢とロマン」だというだが、光輝く部分が大きければ大きいほど、蔭の部分も深いものがある。ファンに知られればイメージダウンになるから、JRAは公表しないが JRAだけでも年間数千頭におよぶ馬が、殺処分となっている。地方競馬もふくめればさらに増える。家畜商はゼニと人出のかかる安楽死というような方法をとらない。眉間に鉄棒で「バシッ」とやってすべてを終わらせる。

 競走馬の余生というものに初めてスポットを当てた。著者の手柄はまさにそこにあるといえる。競馬の主役であるはずの馬の立場や福祉がないがしろにされているではないか。馬は何のために生まれてきたのか、何のために生きたのかもわからないまま、最後は苦しんで暴れながら死んでゆく。  これでいいのか? 

 著者は、競馬にかかわるすべての人はもちろん、馬券を買うぼくたちファンにもきびしく問いかけている。



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2008-04-10
聖火リレーと北京五輪!

 
 北京五輪の聖火リレーはいぜんとして混乱がつづいている。9日にはサンフランシスコを終えたことになっているが、予定のコースを何の予告もなく変更された。だれも見ていない裏街道を走ってお終いだという。実質的に非公開である。いったい何のための聖火リレーなのだろうか?
 
 騒ぎがおおきくなればなるほど、各地で示威行動する亡命チベット人たちの思うツボになる。今後はニューデリー、ジャカルタ、キャンベラなどを経て26日に長野を通過、29日のホーチミンから5月2日には香港へ移動、中国の国内ルートがスタートする。ニューデリーなどではトラブルが起こりかねない。中国ルートではチベットそのものをも通過するのだが、デモや抗議行動が絶対におきないとはいえない。唯一安心できるのは平壌ぐらいだろう。

 現在の聖火リレーをはじめたのは1936年のベルリンオリンピックのナチスである。1930年代に台頭したナチのドイツが国威発揚のために、およそ3,000人のランナーを動員して聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。

 現在の中国は1930年代のナチ、ドイツと同じような国家だとはいうつもりはない。けれどもあのころのドイツと同じように、成長いちじるしい超大国となりつつある国であることはたしかである。近い将来は世界最大の経済大国になるやもしれないのである。

 だがそんな中国は、あ~ら不思議、いまだ一党独裁の国家なのである。そこに中国のかかえるおおきな矛盾がある。今回のチベット問題は、いわば尿路に出てきた結石のようなものである。

 皮肉にも新しい中国を祝うセレモニーになるはずの北京五輪が、中国政府に対する抗議行動の標的になってしまった。チベットの反政府運動と、それに連動した世界各地での抗議行動によって、中国政府のもくろみは無惨にも砕け散ってしまったのである。

 オリンピックなんてやらなければよかった! いままさに、中国はマジで後悔し始めているのではないだろうか。  



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2008-04-09
「くいだおれ」の閉店!

 大阪ミナミのシンボルともいうべき、あの電動人形「くいだおれ太郎」くんで知られる大衆食堂「くいだおれ」が7月に閉店するという。オープンが1949年だというから、60年の歴史をとじることになる。

「くいだおれ」は食堂ビルである。要するに、ナンデモアリの大衆食堂なのである。父ちゃん、かあちゃんがガキどもを連れて……。家族そろって歌合戦……ではなくて、常ひごろはめったにしない外食というものに繰り出すにふさわしい店、こどもたちをよびこむために店先に電動人形をおいたのである。

 当時は「食堂ビル」というのスタイルの店が流行していた。和食、洋食、寿司、麺類から甘党、喫茶……まで、なんでもござれ、いわばファミレスの走りである。当時としては斬新な発想で、外食というものが珍しい時代にあって、こどもたちのあごかれの的でもあった。

「くいだおれ」のほかにも道頓堀には「ドウトン」という店もあった。ビルのフロアごとに洋食、中華、和食と別れていて、好きなものを選べるという食堂ビル、ほかにもいくつかあったと思うが、いつしか「くいだおれ」だけになってしまっていたようである。

「くいだおれ」は団塊の世代とともにうまれ、日本の発展とともに歩んできたが、団塊の世代が定年をむかえるのと同じように、もはや、その使命と役割をおえたとみるべきである。食堂ビルという商法は、もはや時代にそぐわなくなった。閉店は時代の流れというものだろう。

 食堂ビル「くいだおれ」の閉店によって、「くいだおれ太郎」くんも定年退職する。しかし、あのキャラクターゆえに惜しむ声がしきりで、再就職先をめぐって、さまざまなに模索されているようだ。

 だが……。もはや使命をおえたのだから、あれこれと派手に引っ張り回すのはいかがなものか。60年の功績を称えるイベントはともかく、あとは静かな余生を送らせてやる道を考えてやったら、いかがなものだろう。



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2008-04-08
ビル・ゲイツさんよ! そろそろ大人の分別を!

 ぼくがパソコンを使い始めたのは、あの「Windows 95」が鐘や太鼓ではやしたてられて登場した1995年の秋からである。最初のマシンはDELLのノートパソで、ワープロ専用機で遊んでいたパソコン通信(NIFTY)の通販で買った。

 Windowsはその後「98」になり、「Millennium」になり、「XP」になり、「Vista」になったが、「XP」まではバージョンアップのたびにマシンも買い換えてきた。

 来年には「Windows 7」なる新しいOSが発売されるという。MSの会長であるあのビル・ゲイツが発表したというのだからまちがいなかろう。

 それにしても……。「Vista」が出たのは、ついこのあいだではなかぅたか。こんなに早い変わり身をみせるのは「Vista」がダメだということなのか? モデルチェンジしなければ商売にならないというのは理解できるとしても、いったいどういうことなのだろうか?

 ぼくは現在もいぜんとして「XP」を使いつづけている。文章を書いたり、ホームページをつくったり、写真を加工したり、インタネットをやったり……。馬券や舟券、車券、サッカーくじtotoを買ったり……。

 このていどならば、「Vista」なんて必要はない。いまの「XP」で十分ことたりているのである。ところが「Windows 7」が出るというのならば、こんどマシンを買うときは「Vista」を素っ飛ばしてしまうことになる。
 「Windows 7」が出ても、ぼくはいまのマシンに支障がないかぎり、「XP」を使いつづけたいと思っている。何ら不自由を感じていないのだから、買い変える必要なんかまるでないのである。

 しかし売る方としては「Windows 7」を出せば、「XP」のサポートを打ち切ってしまうだろう。新しいOSを出すねらいは、まさにそこにあるのだから……。

 Mycrosoftの商法で最も困るのは、新しいOSを発売すれば、もう古いOSは店頭から引き上げてしまうことである。たとえば「XP」のマシンを使っていたユーザーが新しいパソコンに買い換えようとすれば、もう「XP」登載のマシンはないということになる。否応なしに新しいOSのマシンを買わされる。

 OSの機能が成熟しつつある現在、そろそろ、いくつかのOSを併存させてはどうなのだろうか?、たとえば「Windows 7」を発売したとしても、「XP」も「「Vista」も販売しつづける……というふうに。

 否応なし……、選択の余地なし……、というのは横暴というものではないだろうか。風雲児・ビル・ゲイツはいったい何歳になったのかな。いつまでもこどもでいないで、そろそろ大人の分別を発揮してほしいものである。



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2008-04-07
オソマツすぎる! 会津若松「鶴ヶ城」クイズ事件の顛末!

 最近のテレビ番組は、要するに、おもしろおかしければ何をやってもいい……という風潮が露骨に蔓延していて、まるで歯止めというものがなくなってきたようだ。バラエティはもちろん、クイズ番組すらも例外ではない。出題の内容はもちろん、解答で面白おかしくオチをつける手法が流行っているようだ。

 たとえばTBS系のクイズ番組「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」でおこった前代未聞の椿事はその代表的な例というものだろう。最終的にはTBSが会津若松市の抗議をうけて、謝罪することでオチ……となりそうだが、なんともバカバカしくて話にもならない。

 すべては番組制作者の無知と相手を思いやる心遣いの希薄さ……ということにつきる。事のおこりは2月16日放送の同番組で、「旧幕府軍が若松城(鶴ヶ城)を明け渡した理由は何か?」という問に対して「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」というのを正解とした……ところにある。

 これでは会津若松の人たちはがまんならない。烈火のごとく怒る気持ちはよくわかる。幕末の会津戦争では、藩士だけでなく、その家族たち、女性も老人もこどもすらも城に籠って戦った。全員が城とともに討ち死にする覚悟だったのである。

 会津の人たちはそれゆえに現在も戊辰(ぼしん)の会津戦争への思い入れには格別なものがある。たとえば会津の郷土史家はあの戦争で命を落とした藩士を一人残らず調べあげている。誰がどこで戦って死去しのか。克明にまとめた冊子もあるほどである。

 拙著『会津おんな戦記』を書くとき、取材のためになんどか会津に出向いたが、郷土史家のある人から「あなた、会津人にとっては戦争というのは、どれを指しているかわかりますか?」とたずねられたことがある。

 会津のひとたちにとって、「戦争」というのは「太平洋戦争」のことではない。幕末から明治に移るあの「戊辰戦争」のことをいう。かれらは世代が代わっても鶴ヶ城の籠城戦を忘れてはならないものとして今なお記憶にとどめているのである。

 鶴ヶ城はなせ落ちたか? 糞尿がたまったから……。バカ言っちゃいけない。最新式の洋式大砲で、一日に2000発も撃ち込まれたんだよ。藩兵だけでなく、女・こども・老人にまで死傷者が続発した。たまりかねて藩主の松平容保が降伏を決意したのだが、布という布はみんな繃帯につかわれていて、白旗をつくる白い布さえないという悲惨なありさまだったのである。

 糞尿よりの屍だらけだった……っていうけど、それより場内の井戸という井戸はすべて屍で埋まっていたんだ。糞尿がたまったたから……なんて、笑いものにする理由だけをかすめとるのは言語道断というものである。

 合津若松市の菅家一郎市長がTBSに抗議文を送ったのは当然のなりゆきというものである。抗議文の全文は「会津若松視市長 菅家一郎ブログ」に掲載されている。

 TBSは謝罪放送は8日の午後0時53分ごろ、番組の間にアナウンサーが謝罪文を読み上げる予定だというが、おそらく「やればいいんだろう。やりますよ……」というような通りいっぺんの素っ気ないものなのだろう。

 番組担当者の歴史感覚の希薄さは救いようもない。かれらは会津の人たちが城に籠もって死ぬまで戦おうとした戊辰戦争なんて全く知らないのだろう。相手の立場に立ってものごとを考えない。ただ笑うネタだけを探している。

 それって、弱者切り捨ての発想で、差別やイジメの原点じゃん!



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2008-04-06
昨日ある病院でひそかに集音した怖い話 !

 はい。こちら処置室ですが……。えっ、救急車が15分後に着くってですか……。そんな、わたし聞いてませんよ。えっ……。ちょっと待ってください。
 ねえ、誰か、救急車……、聞いてる?
 M先生じゃないですか。
 ええっ、受けると言ったの? M先生……
 そうらしいです。
 そう。まったくしょうがないわねえ。
 お待たせしました。聞いているそうですから……。15分後ですね。お待ちしています。
 さあ、忙しくなってきた! ちょっと、あなた、これ、Kさんの点滴の用意、お願いね。わたしはストレッチャーもってこなければならないから……。
 はい。点滴ですね。Kさんって、2週間まえまで入院してらしたあのKさんですか?
 そう。あのKさんなのよ。
 お悪くなったんですか? あれほどお元気で退院なさったのに……
 ちょっとワケありでね。
 何ですか? それって……。
 それがねえ、外来でこられたときに違う薬を出しちゃったらしいのよ。
 そんな!
 シッ……、大きな声出さないで。



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2008-04-05
サクラの季節にヤスクニ問題!

 靖国問題というのマスメディアのつくった乱暴なことばで、靖国神社をめぐるさまざまな問題をすべて指している。かって合妃の問題も「靖国問題」といわれ、首相の参拝についても「靖国問題」といわれてきた。

 そういう靖国問題について、コメントするつもりはない。靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」があるが、その上映がとりやめる映画館が相次いでいる。そういう「ヤスクニ・モンダイ」についてちょいと考えてみたい。

 同映画を観たわけでない。だから、いったいどういう内容なのかはいまひとつよくわからない。中国の李纓(リ・イン)監督が約10年間にわたり、軍服を着て参拝する人たちや追悼集会など終戦記念日における靖国神社の風景や、靖国刀を作り続ける刀匠を追うなどの画面構成によって視聴者に何かを問いかけるドキュメンタリーらしい。

 週刊誌の過剰反応もあったが、このたびの騒動がもちあがったのは、自民党の若手議員たちが試写会を求めたこと……ことにある。

 上映を中止する映画館が相次いだのだが、映画館側の言い分は、もし問題が起きると、映画館が入居しているビルのテナントに迷惑をかかるというものである。

 何で迷惑がかかるのか? どういう質の迷惑なのか? 突き詰めてゆくと、その裏には何らかの勢力による恫喝まがいの圧力があったことは容易に想像がつくだろう。いわゆる「触らぬ神に祟りなし」というふうで、いかにも日本的な問題の処し方といっていいだろう。

 試写会のあと一部のメディアから反日的だという声があがり、一部の政治団体が上映中止をもとめる動きがあったらしいが、それもひとつの考え方だから、とやかくいう問題ではない。上映に賛成するも、反対するも、いずれにしても自由である。

 しかし事は上映をめぐる賛否ではなかろう。まず映画を観なければならない。観たうえで、その内容について、喧々囂々の議論をやればいいのである。もし上映すらも実力で阻止するという向きがあれば、それは憲法の保障するところの言論の自由に触れる。

 試写会を求めた自民党の稲田朋美議員は、今になって事前検閲だとか表現の自由侵害などと言われているが、自分の意図とはちがう。表現の自由は尊重されるべきだ……とのべているのだが、騒ぎが多くなって慌てているのだろう。

 ほんとうにそのように思っているのなら、ぼやぼやしてないで上映が実現するように積極的に動くべきだろう。それが火をつけた本人として当然の処し方というものである。

 配給・宣伝を担当するアルゴ・ピクチャーズが4日に明らかにしたところによると、すったものだのあげく、東京都内の1館を含む全国8館が、とりあえず上映することになったという。

 アルゴ側もいまだ妨害行為への懸念から劇場名については明らかにしていない。あちこち調べるたところによると、現在のところ上映がきまっているのは大阪の「第七芸術劇場」、京都の「京都シネマ」というところ。東京はどこになるのかいまのところ不明だが、上映がきまったらぜひとも駆けつけようと思っている。



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2008-04-04
「おバカ」をバカにしてはいけない!

 TVのクイズ番組なのかバラエティなのか容易に判別つかないが、「ヘキサゴンⅡ」(フジテレビ系)が超人気番組になっているのは、ひとえに島田紳助の演出が絶妙ゆえのことだろう。「なんでも鑑定団」にしても伸助がいなければ、あれほど人気がでなかったにちがいない。

 「ヘキサゴンⅡ」の人気を支えているのは男女の「おバカ三人衆」といわれるトリオである。男性版が「羞恥心」、女性版が「Pabo」で、ともに近日中にCDデビューするという。

 とにかく男女ともに3人衆が繰り出す珍答、迷答ぶりは、想像を絶するものがあり、司会者の伸助の巧妙なとりさばきによって、爆笑シーンが演出されてゆくのである。そういう意味でもクイズ番組というよりもバラエティといったほうがよかろう。

 いまやすっかり主役となった「おバカ3人衆」の奔放自由というか、宇宙人的な迷答の連発に虚をつかれつつも、視聴者はあきれかえって笑い出し、「世にはこんなバカなやつがいるのか」と最後は優越感にひたって溜飲をさげる。そこのところがミソになっており、この「おバカ」といわれる6人を鵜匠のようにあやついっているのが島田紳助なのである。

 ところで6人の珍答・迷答ぶりを見て、それをもって、ほんとうの「おバカ」さんだとするのは、いささか早計というものだろう。多少は天然……のところもあるが、これがなかなか油断ならない。要するに「おバカ」を演じている……と観ておいたほうがいいだろう。

 たしかにモノを知らないことは事実であろう。しかしモノを知らないことが即バカということにはならない。世の中には知識は豊富だが頭が悪い、つまり「物知りのバカ」「賢いバカ」がいっぱいいる。知識と知恵はちがうのである。

 彼ら彼女らは「おバカ」を演じることに徹していて、もはやそれが快感になりつつあるのではないか。そして視聴者のほうは「おバカ」といって揶揄すればするほど、彼ら彼女らは、ますます人気者になってゆく。

 そして視聴者は彼ら彼女らのほうがカシコ面している自分たちよりも、はるかにシタタカなのであることを思い知ることになる。



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2008-04-02
狭山湖と石原慎太郎

 時計をみまちがえて今朝は午前5時に起きてしまった。早起きは3文の得……というわけでもないが、ランニングの途上、ふと思い立って狭山湖まで足をのばしてみた。傍らの道路はクルマでときおり通りかかることがあるが、湖水ちかくをジョッグで流すのは久しぶりである。

 狭山湖は東京都の水がめとして1934年というから、ぼくらが生まれるよりはるか昔に完成した人造湖で、正式には「山口貯水池」という。所沢市にあるが東京水道局が管理している。

 桜の名所としても知られており、桜の開花時期になると染井吉野をはじめ、オオシマザクラやヤマザクラなど、およそ20,000万本が咲き乱れる。堤防から見渡す満開の桜はなかなかみごとなものである。




 だが……。何年かまえにみた咲き誇る桜と眼のまえの風景がまるで重ならなかった。なぜなのだろう? 周囲をきょろきょろと見まわしているうちに、堤防そのものがすっかり様変わりしているのに気づいた。

 全長700mの堤防とそのうえにある道ががまるで一変していた。以前は道に石が敷きつめられていたが、平坦になって歩きやすくなっている。中央には展望デッキなんかがしつらえられている。



 以前なら湖水側ではない堤防の下には桜の古木が連なっていたのだが、いまは公園のように整地されて堤防の下には遊歩道がのびている。なるほど。ぼくが違和感を感じたのはそのせいだった。堤防から見渡す桜の絶景をなす桜並木そっくりなくなっていたのである。

 いつからそうなったのか。うかつにも堤防を渡りきってはじめてそれがわかった。湖畔に見慣れない「石碑」があった。へんてこな碑石には「五風十雨の味わい」と刻まれ、石原慎太郎の銘があるではないか。なんだろう? 裏にまわると次のように「いわく」が記されていた。



「山口貯水池は昭和二年から昭和九年にかけて築造された水道専用のアースフィルダムです。当時の先端技術を駆使して築造された貯水池は、平成七年に発生した阪神・淡路大震災を教訓として、より強固なダムにするため、平成十年から平成十四年にかけて世界にも類のない堤体耐震強化工事を行い、生まれ変わりました。」

 要するに6年ものあいだ、ぼくは狭山湖の桜をみかぎっていたことになる。「いわく」書きはさらにつぎのようにある。

「この石碑は蘇った貯水池の新たな第一歩を記念して設置したものです。碑文「五風十雨の味わい」は、東京都知事石原慎太郎の書です。」



 なぜ石碑が必要なのか。なぜ慎太郎なのか? 税金を使ってわざわざそんなモニュメントをつくる必要なんかなかろう。東京都はいったいどんな神経をしているのか……と思ったが、これはおそらく工事を請け負ったゼネコンがサービス(といってもちゃんとお代はとっている)でつくったものなのだろう。そのように考えると合点がいった。

 それほどむずかしくもない堤防ひとつ造るのに4年もかかっている。きっと工事をひきのばして、利益を大きく育てたにちがいなにのである。だから知事への返礼の意味をこめてゼネコン側の発案でつくったとみてまちがいないだろう。



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2008-04-01
ウソのようで本当の話?

 耳よりの話だから、忘れないうちにメモしておく。ほかでもないヤスオちゃんの話である。ヤスちゃんといっても長野県知事だったあのヤスオちゃんではない。もう70をとっくに超え、ギョーザやチベット問題で何かとお騒がせの中国では「ノビタくん」と呼ばれている宰相ヤスオちゃんの話である。
 昨夜、ヤスオちゃんはガソリン税の失効にともなう混乱にたいして、国民にたいして陳謝したのは衆知に通りである。その夜おそく公邸にもどったヤスオちゃんについてウソかマコトか容易に判別つかぬエピソードがある。

 ヤスオちゃんはさすがに心身ともに疲れ果てていた。着替えもせずにベッドに倒れ込んだが、そこえ、やにわに電話がかかってきた。
 ただの電話ではない。表舞台にはいっさい顔を出さないで国をあやつるボスからのホットラインである。自分が宰相でおられるのもすべてはボスの意思によるものだ。出ないわけにはいかない。受話器をとった。
「おい、あの記者会見のときの態度は何だい! ふざけるんじゃないそ」
 受話器をとるなり怒鳴りつっけられたヤスオちゃんは、「私はご指示通りにちゃんとやったつもりですが……」と間のぬけた声をあげた。
「何を言うか。オレは自分の言葉で言えといっただろう。あれじゃ、オレのつくったものを棒読みしただけじゃないか」  
 ボスは心底から激怒している。
「申しわけありません」
 ヤスオちゃんは電話にもかかわらず深々と頭をさげていた。
「以後、気をつけるんだな」  受話器を投げ捨てるように電話は切れた。
 ヤスオちゃんはひとりになると、やにわに孤独感に苛まれてどうしようもなくなった。もともとプライドが高いヤスオちゃんは陳謝なんかしたくなかったのである。自分というものがだんだ嫌になってきた。官房長官や与党の幹事長だけでなく閣僚たちも白い眼を向けるようになってきた。
 窓の外をみると境内にある櫻の花が咲ききり、闇のなかでこんもりとした淡い紅色に煙っていた。ヤスオちゃんの脳裡にふと西行の一歌が浮かんだ。

 ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃

 花の咲いているうちに……。長らえて椅子にしがみついていてもいいことなんかないだろう。潔い覚悟でしめくくろうではないか。今がいちばんの潮時だ。けだし名案じゃないか……と自らのアイディアに酔いしれてしまった。
 ヤスオちゃんはそう思い立つやいなや、何通もの遺書を書き上げると、遺書を残せない愛妾に電話した。吉永小百合によく似た30なかばの元芸妓とは5年の付き合いである。
「先生、今日はお疲れさまでした」
「ありがとう。ぼくのことを分かってくれるのはキミだけだよ」
「とても、ごリッパでしたよ」 「いろいろとありがとう。ぼくはキミといるときがいちばん幸せだったよ」
「先生、どうしちゃったんですか。今日はヘンですよ?」
「いろいろと世話になった。ありがとう」
 ヤスオちゃんは涙にみせぶながら電話を切った。
 愛妾の彼女は不審に思い、すぐにタロウちゃんに携帯で電話して、ヤスオちゃんの様子が普通ではないと告げた。
「やはりなあ。そんな話をしていたか。いや、すべて分かっておる。お見通しだ」
 タロウちゃんは公邸の別室に控えていた。モニターに映るヤスオちゃんの挙動に眼を離さないでいた。画面のなかのヤスオちゃんは白装束姿で正座して、果物ナイフを握りしめていた。
 タロウちゃんはあらかじめ待機させていたSPたちに「それ、踏み込め!」と命じた。10人もの屈強な男たちがヤスオちゃんの室になだれこみ、やにわにナイフを奪い、四肢をおさえつけてしまった。
「よし、そこまでだ」
 タロウちゃんは悠然と胸を張って現れて、テーブルにおいてある遺書をとりあげた。そのかなかからイチロウに宛てた遺書をみつけて開けてみた。
 私の亡き後は貴殿がどうか党にもどってきて、かねてからの談じていたとおりに事を運んでいただきたい……。
 タロウちゃんはにやりと笑った。
「あなたには、やるべきことはすべてやっていただきます。再可決もあなたにやっていただきます。いま、死んでもらっては困るんですよ」
 タロウちゃんはさらに遺書をヤスオちゃんの鼻先に突きつけて、「こいつは大事におあずかりしますよ。のちのち大いに役立ちそうですからね」と勝ち誇ったように声をあげて高らかに笑った。……

 タロウちゃんの高笑いで、ふいと眼を覚ますと、4月1日の朝がすっかり明けていた。ないやら風がつよい日のようである。  夢はすぐに忘れてしまう。忘れてしまうのは惜しい話だから、記憶が定かなうちにこのようにメモで残しておく。



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2008-03-31
あらかじめのチンシャとは笑えるぜ!

 ガソリン税の暫定税率維持をもりこんだ租税特別措置法改正案がとうとう年度内に成立しなかった。成立しなかったというよりも、もともと与党・自民党すらも成立させるつもりがまるでなかったわけで、すべては想定内の出来事でしかない。

 したがって4月1日からガソリン価格はさがる。ところが……。ニュース記事をみて唖然とした。フクダなんとかいうこの国のソーリが、ガソリン価格が下がることによってもたらされる混乱について国民に陳謝するというのである。

 ガソリン価格が下がる……というのは国民のひとりとして大歓迎である。フクダ某は何もしなかったがゆえに混乱を招いた本人であるが、これからもずっと何もしないでいてくれたら、許してやってもいい……と静観していた。

 ところが陳謝する……という。いったい何のための陳謝なのだろうか。突き詰めてよくよく考えると、フクダ某の陳謝は、これから勃発するであろう「混乱」にたいする陳謝であることがみえてくる。

 政府与党はかねてより、税率を元にもどすため同改正案の衆院での再可決をやろうとしている。再可決すれば、ひとたび下がったガソリン価格がまたまたもとにもどる。1ヶ月でモトモモクアミ……である。ソーリは1ヶ月後の混乱に対してあらかじめチンシャする……というわけだ。

 フクダ某の陳謝は、陳謝といえば聞こえがいいが、要するに頭をさげるふりをして「再可決するぞ」と国民に対して宣戦布告しているのである。 そこらあたりは、おとぼけのフクダ某の真骨頂というべきかもしれないが、なんともはやチンシャとは片腹痛い……。



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2008-03-30
その昔、ぼくは平安の追っかけをやっていました!

 センバツ高校野球(=正式には第80回選抜高校野球大会)は第9日目である。今年はどこが強いのやら、さっぱり分からない。優勝候補といわれるチームがベスト8にさえ残れないで消えてしまった。駒大岩見沢しかり、横浜しかり、常葉菊川しかり……。

 今朝はランニングからもどってきて、平安(京都)- 鹿児島工(鹿児島)戦をじっくり観戦した。同カードは2日まえの7日目におこなわれ、延長15回引き分け、再試合が今日の第一試合だったのである。

 2日まえも延長戦にもかかわらず、まんじりともせずにテレビ観戦していた。平安は守備の乱れに乗じられたうえ、再三の勝機を拙攻でのがして、かろうじて最後の15回裏をしのぎきった。

 15回表、平安がゼロで攻撃を終え。「本日の平安の勝ちはこれでなくなりました」というアナウンスを耳にしたとき、「これは、なんとも非情な宣告だなあ」と思った。

 守備に不安あり、決め手に欠ける……というもどかしさ。再試合は乱戦になるかと思いきや、息詰まるような接戦に終始した。平安は鹿児島工の投手(石堂?)に緩急で攻められて攻めあぐんだ。平安は4回のツーアウトから3塁打のあとのタイムリー……で1点をとったものの、5回からはランナーが一人も出ないというありさま……。

 平安の投手(川口?)も負けじと踏ん張った。2日まえの疲労もなんのその、スライダーが効果的で終わってみれば散発6安打で1点もやらなかった。4回の1点をまもりきったのである。投手戦というよりも貧打戦……というべき内容だったが、まあ、とにかく勝てばいいのである。

 ぼくはまえにも書いたが、中学生のころまで、平安の追っかけをしていた。自宅が京都の下京区にあり、平安高までは歩いておよそ10分ぐらいだったから、学校か帰ってくると練習をよく観にいってていた。だから、今でも平安が出てくると無性に気になる。

 今大会は平安にとって2つの意味で節目を迎えている。ひとつは野球部創部100年にあたること、それゆえに選手たちは赤文字で「100」と刺繍されたユニホームを着用している。

 もうひとつは4月1日から校名が変わる。「龍谷大付属平安高校」となるため、「平安」としては最後の甲子園……である。春夏通算65回の甲子園出場を誇る伝統校「HEIAN」のユニフォームも今回かぎりになるというのである。おそらく校歌も変わるのだろう。

 選手たちはまさに「HEIAN」としての最後の戦いをできるだけ先送りしようと死力をつくしているのだろう。1-0 という今日の試合、その粘りになみなみならぬ意気込みを感じた。

 平安の校歌をもいいちど聴いてみたいと思うのだが、次の準々決勝で当たる相手は聖望(埼玉)である。現在は埼玉に居住しているぼくとしては、どちらに寄り添って試合を観ればよいのか? 迷うところだが、やはり童心にかえって、平安……だろうな



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2008-03-29
樹齢140年 枝垂れ桜!



 所沢市の三ヶ島(堀之内)に金仙寺という真言宗の寺院がある。所沢市の天然記念樹になっているという枝垂れ桜、樹齢140年になるといわれている。
 界隈はぼくのランニングコースになっている。桜の開花は都内にくらべて4~5日遅れるのが通例だから、まだちょっと早いかな……と思ったが、おりからの好天にさそわれて境内に走り込んでみた。





 本堂のまえの狭い境内いっぱいに枝を伸ばす枝垂れ桜……。満開に咲ききるまでにはあと2~3日というところだが、桜はこのくらいのほうが色合いが濃くて美しい。穏やかな春の朝陽をあびて、よく晴れた空を淡いピンクで彩っていた。明日は桜祭りがおこなわれ、獅子舞や津軽三味線などの催しがあるという。




 金仙寺のちょうど裏側には個性派俳優として著名なあの俳優の左卜全の墓がある。卜全さんは「生きる」「七人の侍」などの映画では、いかんなく名脇役ぶりを発揮した。そこは三ヶ島家の墓苑になっているのが、入口には墓のまえには古びた冠木門がある。かって世田谷にあった左卜全の居宅の門をそのまま移築したものだという。
 冠木門には芸名の「左卜全」と本名の「三ヶ島」(=三ヶ島一郎)の2つの表札がある。いまにも朽ち果てそうな年代物の門構えだが、どこか風情があっていかにも卜全さんらしい。





 金仙寺を出て青梅街道にもどってくると、そこに中氷川神社があり、境内には三ヶ島葭子の歌碑がある。「春の雨 けぶる欅の梢より をりをり露の かがやきて落つ」という一歌が刻まれている。中氷川神社の宮司は代々三ヶ島家がつとめている。葭子と一郎の父親の生家にあたり、そこ歌碑がつくられたのはそういう縁からである。

 中氷川神社を出て青梅街道沿いに東へゆくと昨年完成した早稲田大学競走部の合宿所がある。箱根駅伝で活躍したスーパーエース・竹澤健介をはじめ駅伝部のメンバーたち全員入所していて、そこから所沢キャンパスに通っているそうな。

 ぼくは毎朝もそこから100m先の交差点を右に折れた。500mぐらいつづくだらだら坂を一気にかけおりる。平地になったところでさらにピッチをあげて、いつものように最後の500mぐらいで全力疾走にうつった。吐息はハアハア……で一杯一杯だが、脚のほうはいくぶん余裕がある……。あえてそういう状態をつくってランニングを終えるようにしている。  



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2008-03-28
開花宣言!


 開花しました! 
  しかし……。
 桜ではありません。 
 梅一輪……でもありません。 
 桃一輪です。 
 なんとも、しょぼい花ですが……。

花桃の蕊(ズイ)をあらはに真昼時  飯田蛇笏



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2008-03-27
ある女性レーサー勇気ある挑戦!

 男女が全く同じ条件で覇を競う。そんな競技スポーツはあるだろうか? おそらく競艇だけではあるまいか。競艇には男女のわけへだてというものがないのである。

 そのせいというわけではないだろうが競艇は選手同士が結びつくことが多く、夫婦共働きのケースもめずらしくない。あるいはシングルマザーとして競技生活をつづけている女子選手もいる。

 佐々木裕美はそんな選手のひとりである。昨夜フジテレビの「すほると」で佐々木が登場、波乱万丈の生きざまがドキュメンタリータッチで紹介されるのをみていて、「そうか、あれからもう一年たったのか!」と思った。

 佐々木の初出走は1999年である。2002年9月津競艇場の女子戦で初優出、2003年5月に唐津の女子リーグで初優勝(唐津)とまずは順調な足どり……。2004年11月に同期生の坂谷真史と結婚、競艇界に美男美女カップルの誕生と話題になった。

 佐々木は結婚後まもなく産休に入り、一児(長男・凱くん)をもうけてから、2006年1月の多摩川競艇場・オール女子戦でレースに復帰した。そして2日目のメインレースで女子のトップに立つ日高逸子、横西奏恵らを5コースからツケマイで沈めて、復帰後の初勝利をあげている。

 佐々木裕美と坂谷真史はおしどり夫婦レーサーとして将来を嘱望されていた。坂谷は今垣光太郎に次ぐ福井の看板選手となり、佐々木も女子のトップクラスにのぼりつめた。だが……。そんなときに思わぬ奇禍に遭遇することになる。

 2007年の2月……。坂谷真史はトップレーサーが集う住之江の「太閤賞・開設50周年記念」という晴れ舞台に出走がかない、佐々木裕美も女子選手としての最高の舞台である「女子王座決定戦」に出場がかなった。

 悲劇は住之江の最終日2月26日にやってきた。第3レースに出走した坂谷は2,3着争いをしていたが、2周目の第1マークで内側から激しく迫ってきた6号艇に押されて横転、そこへ後ろからきた3号艇が乗りあげたのである。救助艇に水面から引き上げられたが、坂谷はすでにして心肺停止状態だった。

 佐々木裕美は事故当時、山口の徳山競艇場にいた。翌日から始まる女子王座決定戦にそなえて、前日におこなわれる検査に臨んでいたのである。午前10時すぎに競艇場に到着した彼女は、持ちまえの明るさで、「頑張ります」と抱負をかたっていたが、正午すぎに夫の事故を知らされたのである。同シリーズを欠場することにして、ただちに大阪に向かったが、その途中で坂谷の死亡を知らされたというのである。

 身近な者、しかもわが夫が事故による不慮の死をとげた。同じ競艇選手ゆえに衝撃ははかりしれないものがあるはずだ。おそらく佐々木は競技生活にはもどれないだろう。そのまま引退してしまうにちがいない……と思っていた。

 ところが……。佐々木はそんなぼくたちの思惑をあざわらうように10月(13日)に復帰を果たした。さらに……。驚くべきは復帰戦となる競艇場に住之江を選んだことである。夫の坂谷真史が事故死したあの住之江競艇場で復帰を果たしたのである。

 夫と一緒に参戦するつもりで、あえて住之江を選んだ。自分が走ることによって、ファンの方々に坂谷を忘れないでほしい。そういう思いで水面に帰ってきた……というのだから肝がすわっている。

 初日の1レースを走り終わった彼女は「これで吹っきれました。もうどこでも走れます」と涙ながらに語ったという。そして4日目、みごとなターンぶりで復帰後の初勝利をおさめたのである。

 テレビ放送のあった同じ昨日の昼間、佐々木裕美は浜名湖で走っていた。オール女子戦の準優勝戦(10R)、3号艇での出走だったが、内側の池田明美に逃げられた。2コースの山川美由紀にもうまくさばかれて3着に終わったが、着実の地力はついてきているとみた。

 佐々木はあえて遺児をかかえてシングルマザーとしての選手生活をつづけることを選んだ。そろそろ3歳になろうという凱くんは、そんなママをどんなふうにみているのだろうか。かれが大きくなったとき、彼女自身が父親のことをどのように語るのだろうか。

 そして物心ついたころの凱くんはそんな父親と母親の生きざまを知ったとき、いったいどのように思うのだろうか。

 おそらく……。佐々木は自分たち夫婦の生きざまを誇らしくわが子に語るために、あえて競艇にもどってきて、死と紙一重のレースにのぞんでいるのだろう。テレビをみながふとそんなふうに思った。



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2008-03-26
まもなく開花!



 東京都内ではすでにして24日に桜の開花宣言がなされたが、わが仮寓のある武蔵野のはずれでは数日遅れが出るのが通例である。今朝、ランニングにとびだして近くの中学校の校庭にある桜をよくみれば、なんと桜が一輪,二輪……と花ひらいていた。

 開花宣言は五輪ぐらいが花咲いたとき……。ならば、明日あたりが開花日となりそうである。
 ところで……。本日記にかかげたある2葉の写真はいったい何なのか? おわかりだろうか? だいたい、そういう問いを発すること自体、何やらいわくありげで、妙にもってまわった物言いではないかと、お叱りを受けそうである。

 桜を話題にして、話をはじめたのだが、桜ではないのである。実は「桃」なのである。周囲では桜がすでに開花体勢にはったというのに、わが家の「桃」は、マイペースで知らぬ顔、ようやくにして蕾ほころび、咲く気になってきたらしい……のである。

 考えてみれば、昨秋、植えかけたうえに、ついでに自由奔放に伸びていた枝を無造作に刈り込んだ。春になっても一向に動くけはいもなく。枯れたのかな。今年は咲かないかもしれないな。あきらめるというよりも見捨てていた。

 ところが……、ひそかに蕾を育んでいたらしい。このところの陽気で、日ごとにぐんぐんと蕾が大きくなってきた。桜に先をこされた桃、遅ればせながら。どうやら明日になれば花ひらきそうである。



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2008-03-25
無謀なり! 高橋尚子の挑戦!

 レースとしてのマラソンを走る体力をつくるにはおよそ5ヶ月から6ヶ月ぐらいかかるといわれている。ところが2週間まえの名古屋かマラソンで北京五輪出場の道を断たれたあの高橋尚子は、昨日の記者会見で5ヶ月で3つのマラソン大会(国内3大女子マラソン)に出場するというとてつもない計画をあきらかにした。

 国内3大女子マラソンとは11月の東京国際女子マラソン、1月の大阪国際女子マラソン、3月の名古屋国際女子マラソンである。

 高橋尚子がそういう内容の記者会見をする……という話は3日まえぐらいに耳にしていた。まさか、ウソだろう……と思っていただけに、あらためて驚嘆するとともに、ある種の複雑な思いがした。

 高橋尚子本人が「ヤル」というのだから、傍からとやかくいうことはないが、ちょっとはげしい練習をすれば故障する体になっている現在、あまりにも無謀ではないか……と杞憂するからである。

 最近のレースぶりからみるかぎり、勝負を捨てての出走であることは明白である。2010年のベルリン世界陸上を本気でめざすというのなら、そんな暴挙をするわけがないからである。

 つまり……。高橋にとって国内3大会はラストラン……になるというわけだろう。そして、あえて高橋が出場に踏み切ったのは、人気者「Qちゃん」ならではの事情ゆえのことだろう。

 マラソンランナーとしての高橋は終わっているがメディアの商品としての高橋にはまだ終わっていない。いまだ利用価値がある。人気者ならではの事情というのは、そこのところである。

 高橋が出るかでないでは、テレビの視聴率が大幅にちがうだろう。だから、次シーズンの3大女子マラソンは、むしろテレビ局にとって甘い汁を蜜を吸うラストランになるというわけである。

 3大女子マラソンのテレビ中継をやるのはどこなのか。東京国際はテレビ朝日、大阪国際はフジテレビ、名古屋国際は東海テレビだがTBS系列である。

 高橋はラストランとしてどれかひとつを選ぼうとしたにちがいない。しかし周囲がそれをゆるさなかったというのはうがちすぎだろうか。高橋はもともと八方美人である。あちらを立てれば、こちがが立たず……。煩わしくなって、エイッ……とばかりに、3つとも出るといってしまった。真相はあんがい、そんなところだろう。

 プライドを捨てて走ることを決意した高橋尚子はなかなか見上げた根性である。ひたすら無事完走を祈るのみである。しかし偉大なランナーの痛々しい姿はあまり見たくはない。いくら走るのが好きだといっても、もっとちがった人生の選択があるはずだ。高橋にいま必要なのは「そんなのヤメロ!」と声を大にして叱りつけてくれる存在ではないだろうか。



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2008-03-24
死神に逢った!

 死神は音もなくすり寄ってくる。コイツに取り憑かれた最後、ツキはたちまち落ちてしまう。どんなにツイていてもかれに逢ったが最後、たちまち急転直下、深い闇の中に堕ちてゆくのである。

 誰が、何が死神であるか。あらかじめ分かっていれば、それはそれなりに対処のしようもあるが、たいていの場合は後になって、「そういえばアイツが死神だったんだ」と気づかされることが多い。そういうかたちでしか出没しないから、なんとも始末が悪いのである。

 昨日、ひさしぶりに死神に逢った。競馬の話である。ぼくは競馬や競艇の当たり、外れ……については原則として日記やBlogに書かないことにしてきた。予想もほとんど書かない。たまにビッグレースのときのみ、予想ではなくて自分の買う馬券や舟券を明らかにする。書くときはかなり自信のあるときだ。しかし、投資金額は書かないことにしている。

 しかし、負けたときのみ、備忘録として記録にとどめておくことにする。競馬や競艇の収支については、家計簿のように収支決算しないことにしているが、負けたときはやはり悔しさが残る。そこで死神に逢った記録としてとどめておこうというわけのなのである。

 先週はあの武豊が死神になった。競馬を知らない人でも知っているあのJRAのナンバーワンジョッキー・武豊である。昨年の11月には通算3,000勝を38歳7ヶ月という史上最速で達成。重賞は250勝、G1は160も勝っている。いまや前人未踏の境地をゆく騎手なのである。

 武豊の連対率(=連勝馬券にからむ確率)は2007年が37.2%、今年は36.3%、つまり3回に1回以上は、確実に馬券に絡んでいる。しかし1番人気の馬に乗ったときは約55%というから、その信頼性は驚異的である。  先週の土曜日も日曜日も武豊はメインレースでは一本かぶりの人気馬にのってきた。土曜日は阪神の11レース「仁川ステークス」、日曜日はG2の「阪神大賞典」である。

 土曜日の仁川ステークスは、セイウンプレジャーでの出走だった。セイウンプレジャーはユタカが乗って断然人気とはいえ、いまひとつ信頼できなかったので、迷ったあげくぼくは同レースを買うのをやめにした。  結果的にいえば阪神を回避して、中山のメインで勝負したのが正解だった。セイウンプレジャーはスタート、道中ともにいいところなく、最後の直線に向かってもまったく伸びなかった。

 日曜日は阪神11Rの「阪神大賞典」(距離3000m)、ユタカは実力馬・ポップロックに乗っての登場であった。オッズは1番人気で2倍見当だから、ここも断然の1番人気である。ポップロックは3ヶ月ぶりの出走、これが気にかかった。さらに騎手のユタカについては前日の負けっぷりが気にいらなかった。

 だが、ユタカが1番人気で2日つづけて外すことはあるまい。まして騎手の腕がモノをいう長距離だ。前日の惨敗ぶりが最後まで気にかかったが、馬券は迷うことなく格上のポップロックから、複勝を厚めにして、単勝、馬単……と、合計で10,000円を投じたのである。

 結果は……。ユタカが死神……だったと思い知らされた。ポップロックはいまひとつ伸びきれずにクビ差の3着に沈んだのである。かくして武豊は2日連続で1番人気で敗れた。まさかリーディングジョッキーが死神になろうとは夢にも思わなかった。まあ、女神になるときもあるのだから、しかたがなかろう。

 死神はどこにでもいる。誰でもが死神になる。ウインズで声をかけてきた見知らぬ男のときもあるし、すれ違いざまに足を踏まれた男であったり、あふれるばかりの微笑で迎えてくれたサービスステーションの可愛い女の子さえも……油断できない。

 そして……。死神におびえているぼく自身も、見知らぬ誰かさんにとってはとんでもない死神になる。いや、すでにして、もう、なっているかもしれないのである。



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