2012-12-21
八重と尚之助、のちに会ったのか?




 この8月から11月にかけて2013年NHK大河ドラマの主人公となる新島八重に関連する小説、評伝をあわせて6冊刊行しましたが、読者のみなさんから、かなり突っ込んだ問い合わせがきています。

 小説作品としては『小説・新島八重 会津おんな戦記』『小説・新島八重 新島襄とその妻』(ともに新潮文庫)『小説・新島八重 勇婦、最後の祈り』(筑摩書房)の3部作があります。

 お問い合わせの多くは、基本的に「どこまでが史実で、どこまでが事実か…」というところにゆきつく質問です。

 小説作品というのはフィクションを弄する文学作品であることは自明のことです。しかし同作は歴史小説であり、実在の人物をあつかっておりますから、実在の人物は本名で書き、歴史的事実は克明に調べ、執筆時点で歴史的事実には正確を期しています。

 新島八重の人生は波瀾万丈の人生といえば、いかにも、ありきたりです。だが、そのように表現するほかない生きざまで、何の虚飾もなしにドラマになってしまう。筋だけをうまくつないでまとめて、それだけで歴史読物にすること、かんたんにできてしまいます。ただの物語として読者のアタマのなかに流し込もうとすれば、それでいいわけで、あえて小説というカタチにしなくてもいい。むしろ書籍としてはそういうモノのほうがよく売れるかもしれません。

 小説にするということは、物語として伝えるだけではありません。ことばの表現に工夫をこらし、物語を具体的な場面に構成して、そこで人と人との触れあいや葛藤、人とモノとの関わり、人と事件との関係などを、活き活きとことばで描いて、ひとつの世界を作り出すことなのです。

 そのようにして出来上がった小説について、事実とフィクションを腑分けせよといわれても、作者としては「小説であるからには、すべてがフィクションであり すべてが事実である」としか答えようがないのです。

 とくに問い合わせが多いのは、『小説・新島八重 新島襄とその妻』にある八重とかつての夫・川崎尚之助が江戸で邂逅するという挿話です。

 これについても同じ台詞を繰り返すほかありません。ただし、今回、小生は愚かにも小説3冊のほかに新書版で『新島八重 おんなの戦い』(角川書店刊 角川0neテーマ21)というミニ評伝を出しております。これはノンフィクションですからフィクションはありません。立ち読みでページを繰ってもらえば、すぐに答えは出るはずです。

 かつて小説記述としての同個所をノンフィクションの評伝に、事実として使った無謀な書き手がいました。むろん著作権問題に発展したことは言うまでもありません。



1 コメント | コメントを書く  

1 コメント:

伊藤哲也 さんのコメント...

二人は、開城後に会っていないです。その理由は数週間後に活字化。

2012年12月30日 1:09

Template Design: © 2007 Envy Inc.