いままさに曼珠沙華の季節である。
今朝も463号バイパスは秩父方面ゆきのクルマで朝から大渋滞していたが、そのうち多くはおそらく曼珠沙華の名所としてしられる日高市の巾着田にも立ち寄ることだろうとおもいながらみていた。
曼珠沙華……というと、つい「赤い花なら……」という歌が口を吐いて出る。
赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春……
長崎物語(梅木三郎作詞・佐々木俊一作曲)の一節である。昭和14年の流行歌だという。ぼくが生まれるより昔の歌なのに、なぜぼくは覚えているのか? それは戦後になってはじまったNHKの「のど自慢」で唄われ、爆発的なヒットのなったせいだろう。だから幼いころのぼくの耳に、ごく自然にはいっていたのだろうとおもう。
ところで「長崎物語」というのは、なんとも哀しい歌である。
歌の文句に出てくる「お春」はイタリア人の父と日本人の母のあいだに生まれた混血児。いまからおよそ400年ぐらいまえ、江戸時代の始めのころの話である。お春は曼珠沙華で彩られた阿蘭陀坂の一角に「お春姫」と呼ばれるほどの裕福に暮らしていた。
ところが、15歳になったころ、江戸幕府のキリシタン弾圧、鎖国令によって、国外追放となり、ジャガタラ(現在のインドネシア・ジャカルタ)に流され、過酷な運命に翻弄される。
外国人の愛人になり、あげくには遊女に身をやつし、日本に帰りたくても帰れないわが身の不幸を嘆きながら、はるか海をへだてた異郷で72歳の人生をおえるのである。
彼岸花、またの名を曼珠沙華……。葉はなく、地中からすくっと生えた一本の茎の先端で深紅の花が咲く。いかにも鮮やかな紅だが、どこかうら寂しく眼にうつるのはなぜか。
ぼくたちは昔から「手腐り花」だと教えられ、絶対に手に触れてはならぬと教えられてきた。事実、毒性のある植物で、食すれば吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたるという。
田んぼの畦や墓地におおいのは理由がある。田んぼを荒らすモグラや野ネズミ、あるいや虫除けに、この彼岸花がつかわれた。墓地におおいのは、昔は土葬だったからで、埋葬した死体を動物が掘り起こさないように、あえて彼岸花を植えたというのである。
時代が移り、彼岸花のそんなマイナスイメージは、すっかりなくなったようだが、ぼくがいまひとつ馴染めないのは、ひとつには死人花とか地獄花とかおしえられてきたこと、さらには「長崎物語」の哀しいイメージのせいだろう。
彼岸花には「赤」だけでなく、「白」さらには「黄」のタイプもあるようだ。今朝たまたまとおりかかった丘陵地の土手で「黄色」の彼岸花をみつけた。黄色い彼岸花はショウキズイセン(鍾馗水仙)とよばれる変種だという。
Takehisa Fukumoto's essay and column studio
2009-09-21
赤い花なら曼珠沙華!
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このBlogは小説書きの福本武久が「京おのこ」としてmixiにアップしている日記を再録したものです。
筆者が「見たこと」「聞いたこと」「考えたこと」を備忘録がわりにランダムに書き記してゆきます。自身の書く小説の舞台裏だけでなく、30年間追っかけている「駅伝・マラソン」のこと、仕事をはなれて、「競馬」や「競艇」についてのトピックやエッセイなど……。
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