2012-08-22
『小説・新島八重 会津おんな戦記』『小説・新島八重 新島襄とその妻』(新潮文庫)


 例によって、ある雑誌にもとめられて書いた「自著紹介」です。(笑)
                  ◇ ◇ 
 日本の近代は砲弾が地ならしして幕あけた。
 明治元年(一八六八)の戊辰戦争、新政府軍は会津・鶴ヶ城に攻めかかった。そこで女こどもはどう生きたのか。

 足手まといになるのを懸念してある者は郊外に逃れ、恥辱を受けてはならじとある者は自刃し、そしてある者は城に入って参戦することを決意した。

 兵糧炊き、傷兵の看護、弾丸づくり、砲弾消し……。入城したおよそ六〇〇人の婦女子は裏方にまわって戦闘を支えた。だが、そんな女の仕事だけでは満足できない女丈夫がいた。山本八重、後の新島八重である。

 会津藩砲術指南役の家に生まれた八重はスペンサー銃を手にして夜襲に出撃、砲隊で率いて向かい撃った。しかし戦いに敗れ、藩家は斃れた。家屋敷を奪われだけでなく父をうしない、夫とも別れなくてはならなった。

『小説・新島八重 会津おんな戦記』は、そんな八重の若き日の戦い、愛と別離、そして新しい旅立ちを描いている。 会津戦争を高みから見おろすのではなく、あくまで八重というひとりの女性の視点、いわば「一兵卒」の目線から描ききった小説作品である。

『小説・新島八重 新島襄とその妻』は、その八重が兄の覚馬をたより会津から京都にやってきて新島襄とともに暮らした時代を描いている。

 京都にやってくるなり、八重は英語を学び、キリスト教にも接近、そして新島襄と運命的に出会って結婚、洋装洋髪のモダンレデイーとしてよみがえった。だが、それは八重にとって、また新しい戦いの幕あけでもあった。当時、キリスト教に入信すること、さらには耶蘇と後ろ指をさされる男と結婚することなど、ただならぬ勇気のいることで、周囲すべて敵にまわすにひとしかったのである。だが、八重はいっさい怯まなかった。キリスト教への根強い偏見、政府や京都府の妨害など困難をのりこえて同志社を築いた襄を支えつづけ、近代日本の幕あけを颯爽と駈けぬけたのである。

 そんな八重の生きざまには開花期の日本人女性が背負わなければならなかった文化的な軋轢があちこちにある。近代と前近代との狭間に明滅する女性ゆえの凄まじいばかりの孤独な闘い、それが本作品のライトモチーフになっている。

 もともと両作品はそれぞれ独立した作品として刊行されたものだが、対をなすものであり、文庫化にあたって人名表記を統一した。なお両作につづく第三弾として、近く『小説新島八重 美徳をもって飾となす』(仮題)が登場する予定である。

◇発売:2012.08.28



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