2012-08-07
新島八重 おんなの戦い



 ある雑誌から「自著紹介」の原稿の執筆を依頼された。しかし自分の書いた作品を語るのは、きわめてむずかしい。他人の作品ならば,わりあい気楽に向き合える。だいたいは,良いところをとりあげれば、作業の半分はそれで終わっている。極端な話をすれば、誉めるとすれば、1あるものを5から6までひきあげて書くこもできる。ところが自分の作品はそんなことはできないから困り果てるのである。

 自著を語るのはむずかしいというよりもたいへんやりにくいのである。やりにくいのを承知しながら、書いたのが以下の稿である。
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『新島八重 おんなの戦い』(角川oneテーマ21)新書 角川書店

 まさに波瀾万丈というべきか。世にはまるで絵に描いたようだ、と眼をみはらされるような人生もある。新島八重もそんなひとりである。
 会津藩砲術指南役の娘に生まれた彼女は、明治元年(一八六八)の戊辰戦争で、断髪男装の出で立ちで、七連発の新式銃をとって籠城戦を戦いぬいた。女性でありながら近代兵器というべき銃砲に眼をけていた女性は彼女のはかにはない。
 戦いに敗れたあと、兄覚馬をたよって京都にやってくると、英語を学び、キリスト教にも接近、新島襄と結婚、洋装洋髪のクリスチャンレディーに生まれかわってゆく。密航青年と鉄砲娘の結びつき、それは、まさに日本の近代の幕あけであった。
 新島襄の死後は社会活動に身を転じ、日清・日露戦争のときは日赤の篤志看護婦として従軍、看護師は女性に適した仕事であることを実証してみせ、働く女性の先駆者となった。
 八重はまさに近代女性の先駆をなす存在といえるが、それゆえに近代と前近代との狭間に立って、女性ゆえの凄まじいばかりの戦いがよこたわっていた。
「女こども」とひとくくりにされ、女が人間であることをみとめられていなかった時代に、八重は自立したアクティブな女性として、果敢に颯爽とかけぬけていった。本書は当時の時代背景や、同じ会津女性で戊辰戦争の洗礼をうけた大山捨松や若松賤子の生きざまにも目配りしながら、八重の素顔に光を当てた歴史ドキュメントである。



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1 コメント:

伊藤哲也 さんのコメント...

先程、届きました文庫本を読まさせていただきました。八重の一生で重要なところは、皆含んで読みやすいながれでした。川崎尚之助が斗南に行ったという史料はあります。今、活字化中です。

2012年8月13日 23:34

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