2011-07-22
菅谷昭さんの『新版・チェルノブイリ診療記』


 菅谷昭さん(現・松本市市長)の『新版・チェルノブイリ診療記』(新潮文庫)を読んだ。著者は1995年、信州大学医学部の助教授だったが、チェルノブイリの原発事故のあと、子どもたちを救うべく、わが職をなげうち、自費でベラルーシに飛んだ。5年間にわたって外科医として甲状腺ガンなどの手術に腕をふるった。

 先に晶文社から『チェルノブイリ診療記』というタイトルで単行本になっていたが、本書はその文庫化である。

 文庫によって再読したのだが、新版には、「福島原発事故への黙示」というサブタイトルが付されており、福島原発事故を強く意識して刊行されたものであることがわかる。

、冒頭に新しくかかげられた「新版に寄せて」には、チェルノブイリで医療活動に従事した医師の立場から、福島の原発事故に対する国の対応の甘さを指摘、専門家としての苛立ちが、いかにも医師らしく冷静な筆致でのべられている。

 著者は事故発生当時から内部被曝の怖さを力説している。だが国には国民の立場に立っているとは思えず、ハナから危機管理の姿勢がみえていないと説く。国家がもっともやらねばならないのは国民の生命をまもることだが、その認識が政府にあるかどうか疑わしいというのである。そして次のようにのべている。

「政治家や官僚、あるいは研究者は「統計」や「集団」という形で物事を考えたり、処理しがちだ。だが、チェルノブイリでの経験から私が強く願うのは、目を向けるべきは、個々のケースであるということだ。たとえ、統計上は甲状腺ガンの致死率が他のガンに比べて高くないとしても、現実には病と闘う子どもがいて、時に命を落とす子どもがいた。本人の辛さや哀しみ、家族の切ない思いのを目の当たりにすると、ひとりひとり、個々の命こそが大切であることを改めて痛感する。机の上で何をどう分析しても、命を失う痛みはわからない。」

 こどもたちひとりひとりの生命によりそってものごとを考える。本書はまさに、著者自身が被爆によって多発した甲状腺ガンに苦しむベラルーシの子どもたちとその家族によりそった迫真のドキュメントである。

 チェルノブイリの事故、あれはベラルーシ、他国の出来事……と思ってはならぬ。ベラルーシと同じ状況が5年後、10年後、わが国にやってこないという保証はどこにもない。著者はそのように警鐘をならしている。

 そういう意味で、この時期に、本書を文庫にしたのは時宜を得た出版というべきで、twitterでものべたように、刊行した新潮文庫の姿勢を高く評価しておきたい。



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2011-07-20
ボートレーサー江口晃生の『ベテラン力』(ぶんか社)を読んだ!




 いざ出陣!「恐れるな、挑め」
 ボートレーサーの江口晃生は、いつもそのようにtwitterに書いてレースにのぞむ。いわば、みずからを鼓舞する儀式というわけなのだろう。

 江口晃生は1965年生まれだから今年46歳、ボートレーサーとしてデビューから27年、いまや選手としてベテランの部類にはいる。競艇で最高峰のレースであるSG競争を2度制覇、いまもなお第一線で踏ん張っている。

 モーターの整備力に非凡の才があり、勢いよりもテクニックで勝負するレーサーである。だからこそ45をこえても、レーサーとして最上位のクラスランク「A1」をキープしているのだろうと思う。

 つねに自分にきびしく、レースでもいっさい妥協というものがない。二年まえに早稲田大学の大学院に進んだのも、ただの気まぐれではないだろう。「ボートレース界に恩返しがしたかった」と本人はのべている。

 かくして2009年、かれは公営競技の選手として初めて大学院に入学、あの桑田真澄とともにスポーツ科学研究科で学んだのである。卒業論文の「ボートレース界のさらなる発展に向けた改善策に関する研究」は最優秀論文賞をうけた。

 その江口晃生がこのほど『ベテラン力』(ぶんか社刊)という本を出した。「極みに挑み続ける男達の才覚」というサブタイトルにもあるように、江口とおなじく、いまなおスポーツの各分野で輝きを放つベテランアスリートたちをとりあげた対談集である。

 スポーツの分野で「経験」はなによりの財産、「ベテラン選手たちが大切にしてきたその宝物に、ほんの少し触れさせていただくことで、私にとっても、またこの本を手に取ってくれた方にも、新しい可能性を発見できればと思っています」とあり、四〇歳代以上のおじさんに元気をあたえ、その生き方をポジティブにしょうというのである。

 江口の対談相手として登場するのは船木和喜(36歳)、工藤公康(48歳)、中澤佑二(33歳)、武豊(42歳)、山本博(48歳)、田臥勇太(30歳)の6人である。それぞれトップをきわめたアスリートゆえに、その言葉と語り口がおもしろい。

 20歳で金メダリストになった船木和喜、その後、どんぞこまで堕ちた。「落ちるところまで落ちて。プライドは粉々になりましたね。粉々になったプライドを拾い集めていたら、多分、他の物も拾えたのでしょうね。以前の自分よりも大きくなっていたんです」

 48歳になってもいまだに現役にこだわる工藤公康は、ながくプレーするには体力よりも技術こそが重要だと説き、いまだに技術の研鑽をおこたらない。「僕は調子のいい選手がいたら、なぜあの選手は勝てるのだろうって、すごく研究するんです。それで、このやり方がいいんじゃないかと、このトレーニングがいいんじゃないかって考えるんですけど、こっちが正しいという直感はベテラン選手のほうが持ってると思うんです」

 あの中澤佑二が江口の前では飾らずに本音をさらけだしている。「サッカーでも活きのいい選手がどんどん出てくるし、勝ち気な選手もいます。そいつらを経験で抑えるというのは、ベテランからすればひとつの楽しみですよね。相手のドリブルを止めたときなんて、「この野郎! まだ世代交代しねえぞ」て思いますから」とのべ、そのために若い選手が10がんばったら、自分は11、12がんばるという。

 武豊といえば競馬をやらない人にも知られるほどのトップジョッキーだが、後輩に聞かれたら自分の技術を教えたりするか、と江口にたずねられて、「聞かれたらやっぱり答えますね。僕は日本の競馬を全体的にレベルアップしていきたいって思っているんです。今の競馬界は、外国人ジョッキーがすごく活躍するようになってきたんで、みんなでレベルアップしていかないとダメだと思ってます」とのべるのだが、そんな武豊も海外にゆくと知らない厩舎をおとずれ、まるで新人ジョッキーのように「日本から来た武です。チャンスをください」と言ってまわる。つねに初心をわすれない。

 アーチェリーの山本博は6人のうちで工藤とならんで最高齢だが、つぎの一言が印象にのこった。
「歳を取ると誰だって、変化することに対応しづらくなっている部分があると思うんです。信念を持つことは大事なんだけど、信念を持って自分を変化させることも、また大事だと思うんですよ。だから僕は、同じ頑固親父になるなら、自分を変えてゆくことに頑固になりたいですね」

 いちばん若い田臥勇太は、アメリカに渡り日本人として初めてNBAでプレーしたバスケットボールの選手である。アメリカでいつ解雇されるかわからないという状況に身をおいてきた。「僕はいろんな所でプレーしてきて、なぜ?って思うことも多々あったんですけど、それでもあきらめずにやるしかなかったんです。もう、折れたほうが負けですよ。何も悪いことをしてないのに文句を言われたり、相手にされなかったりいっぱいあったんですけど、全部モチベーションにしました」チャンスがめぐってきたときに逃さないように、自分しかできないこと、自分の得意なことに磨きをかけたっというのである。

 いかにも修羅場をくぐってきたアスリートならばこその言葉である。ボートレーサーとしての自らを語りながら聞き手をつとめる江口、だが6人すべてが江口のまえでは、気負うことなく素直に本音をさらけでしている。トップアスリートから重みのあることばを引き出したのは、ひとえに著者の人徳によるものだろう。

 江口がこの本で、いちばん言いたかったのは何なのか。文中のかれのことばでいえば次のようになるだろう。
「どんな仕事でもそうなんですが、大切なのは自分からアクションを起こしてチャンスを掴みにいくことだと、私は思っています。そのチャンスをものにできるかどうかはわかりませんが、動き出さない人にはきっと出会いもない」

 江口はこのように書いている。四〇をすぎて大学院に進んだのも、この本を書いたのもそういう持続するチャレンジ精神の所産なのだろう。ベテランでも、というよりもベテランだからこそ、そういう初心を忘れてはならないのだと言いたげである。
「恐れるな、挑め」というかれの信条にこめられた想いが具体的なかたちでそこにあるように思った。



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