虫明亜呂無にスポーツや競馬をかたらせれば右に出るものがいない。スポーツ小説をあつめたかれの「シャガールの馬」は出色の作品集である。
虫明亜呂無は他界してからすでに18年になるが、このほど『女の足指と電話機 回想の女優たち』(清流出版刊)というエッセイ集が出た。
日本だけでなく、ひろく世界に目をむけ、伝説の女性たちを軸にして文学や映画、演劇、音楽をかたる。おもしろい。ロマンチシズムただよう文章にも独特の味わいがある。読みごたえのあるエッセイ集になっている。
ぼくは虫明亜呂無といえば競馬にかんするエッセイか、あるいは単行本になっているスポーツ小説しか読んでいない。これほど幅ひろいジャンルに目配りしたエッセイがあろうとはまるで知らなかった。
とくに女性にかんする洞察眼は冴えわたっている。いちばんおもしろかったのは現在の日本には、ほんとうの「女優」はいないという。独特の女優論であろうか。
近年、女優のスケールが小さくなったのは、彼女たちが家庭に安定をもとめたからだと、著者はいうのである。それにともなって彼女たちの美貌も消滅したとまで言いきっている。
そんな彼女たちはもはや女優として失格である。だから庶民の憧れの対象ではなくなってしまった。そのあたりについて著者はつぎのように書いている。(「回想の女優たち」)
「戦前の女優のえらさは、彼女たちが断固としてアウトサイダーをつらぬいたことである。美貌に生まれついたために、社会の常識に背を向けて恋し、生きて、演技をした。彼女たちは自分の家庭のこと、恋人のこと、子供のことなどをかたくなに語らなかった。語ったときには、女優として失格することを肝に銘じていたから、世間の非難や、弾劾にも沈黙をまもりとおした。美貌は、そのために、いっそう光彩をはなった。
彼女たちは安定を拒否したために、圧倒的な支持をえた。ファンは誇張ではなしに、この女は俺のために死んでくれる女だと思った。もし、その女優に帰る家庭や夫があり、子供があったら、ファンはそれほどまでには思わなかっただろう」
ひとりの女として不幸だったかも知れないが女優としてはきわだっていたと著者があげるのは、岡田嘉子であり、川崎弘子であり、田中絹代であり、山田五十鈴であり、原節子、高嶺秀子……。
そんななかで著者がいちばんにあげるのが及川道子である。若くして病にたおれたが、その美貌はきわだっていたというのである。及川道子という薄倖の女優がいたというのも本書によって初めて知った。
ほかにも国内、海外を問わず、おおくの伝説の女優たちのエピソードが、愛惜の念をもって語られている。
女優は美貌の持ち主ゆえに反社会的な存在であり、背徳のにおいがする。だからスターなんだという指摘、オーラをうしなった昨今の女優といわれる人たちをみるにつけ、納得させられてしまうのである。
Takehisa Fukumoto's essay and column studio
2009-06-24
ほんとうの女優はいなくなった!
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このBlogは小説書きの福本武久が「京おのこ」としてmixiにアップしている日記を再録したものです。
筆者が「見たこと」「聞いたこと」「考えたこと」を備忘録がわりにランダムに書き記してゆきます。自身の書く小説の舞台裏だけでなく、30年間追っかけている「駅伝・マラソン」のこと、仕事をはなれて、「競馬」や「競艇」についてのトピックやエッセイなど……。
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