2009-02-13
ふるい仲間の著書に勇気をもらう!


 大阪の作家・高畠寛さんから新著『紅い螢』をおくってもらった。著者にとっては6冊目の小説集である。

 高畠さんは古い仲間のひとりで、今からざっと30年ほどまえ、大阪で「らぐたいむ」という同人誌をいっしょにやっていた。同氏がいわば主宰者格の存在で、ほかには村田拓、奥野忠昭飯塚輝一、松原真理子、軽尾たか子、詩人の森沢友日子などが名をつらねていた。いずれも大阪文学学校(http://www.osaka-bungaku.or.jp/)のチューターをつとめる猛者であった。

 いささか手前ミソになるが、当時、大阪では自他ともにみとめる最強の書き手集団で、毎号それぞれが最低でも100枚をこえる小説をひっさげて登場した。書き上げた作品は掲載するまえにまわし読みして、メンバー全員でたがいに批評し合う。作者はそれぞれの批評をふまえて書き直す……というのがきまりであった。

 一騎当千の最強の書き手ゆえに、おのずと遠心力がはたらくようになり、やがて、それぞれが別の活動舞台をもつようになった。

 高畠寛さんはいまも大阪にあって文学学校にふかくかかわり、同人誌に小説を発表しつづけている。

 表題となっている「赤い螢」をはじめ、「山崎の鬼」「優しい脅迫者」「春の一日」「待避線」「風の素描(デッサン)」の6編がおさめられている。いずれも著者が主催する「アルカイド」ほか文芸同人誌に発表されたものである。

 主人公はおもに中年にさしかかった男、「おれ」「ぼく」「私」は大手建設会社のつとめる。いわば作者の等身大の男たちである。「山崎の鬼」の「私」はまだ30歳まえの若者だが、「優しい脅迫者」「春の一日」「待避線」の「私」「ぼく」「浩介」は中年の管理職、「風の素描」はリタイヤ目前、「赤い螢」の「私」はやはり60歳をすぎている。

 数おおくの作品のなかから、作者があえてこの6編をえらんで作品集を編んだのは、ある種のネライがあってのことだろう。

 事実、ぼくはいずれもいちど読んでいるのだが、こうして一冊に編まれてみると、またあたらしい世界がみえてくるのである。これもまた、まぎれもなく小説のもつ力というものである。

 あらためて読みなおしてみると、作者が「あとがき」で、あまり面白くない……という「会社もの」がむしろ新鮮でおもしろい。

 大手建設会社の働く男の日常をタテ糸にして、家庭のこと、父親のこと、若かりしころの女ともだちのことがヨコ糸をなし、あざやかにひとつの時代の錦絵がおりあげられてゆくのである。

 土建の世界は日本経済のもっとも象徴的な部分をなしてきただけに、いわゆる失われた10年にうごめく人間の隠れた部分をみる思いがする。

 『赤い螢』は阿久悠の作詞でしられる歌謡曲「北の蛍」をベースにした作品である。60歳をはるかにこえた主人公が、かって学生時代の恋物語を回想でかたるかたちになっている。

 幼くて稚拙ともおもえるなりゆきなのだが、懐かしい過去としてただ回想しているわけではない。思い起こすことによって、若かりしころの主人公とその彼女に時をへだててあたらしく出会いつづける。主人公も傷つきながら、ほろ苦い何かを発見しつづけるのである。そういう凝ったしかけがある。

 古い仲間がいまも健在で書きつづけていることを知ると、ほのぼのとした気持ちになり、あたらしい本のページをくるたびに、なんだか勇気づけられるのである。



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