大阪の作家・高畠寛さんから新著『紅い螢』をおくってもらった。著者にとっては6冊目の小説集である。
高畠さんは古い仲間のひとりで、今からざっと30年ほどまえ、大阪で「らぐたいむ」という同人誌をいっしょにやっていた。同氏がいわば主宰者格の存在で、ほかには村田拓、奥野忠昭、飯塚輝一、松原真理子、軽尾たか子、詩人の森沢友日子などが名をつらねていた。いずれも大阪文学学校(http://www.osaka-bungaku.or.jp/)のチューターをつとめる猛者であった。
いささか手前ミソになるが、当時、大阪では自他ともにみとめる最強の書き手集団で、毎号それぞれが最低でも100枚をこえる小説をひっさげて登場した。書き上げた作品は掲載するまえにまわし読みして、メンバー全員でたがいに批評し合う。作者はそれぞれの批評をふまえて書き直す……というのがきまりであった。
一騎当千の最強の書き手ゆえに、おのずと遠心力がはたらくようになり、やがて、それぞれが別の活動舞台をもつようになった。
高畠寛さんはいまも大阪にあって文学学校にふかくかかわり、同人誌に小説を発表しつづけている。
表題となっている「赤い螢」をはじめ、「山崎の鬼」「優しい脅迫者」「春の一日」「待避線」「風の素描(デッサン)」の6編がおさめられている。いずれも著者が主催する「アルカイド」ほか文芸同人誌に発表されたものである。
主人公はおもに中年にさしかかった男、「おれ」「ぼく」「私」は大手建設会社のつとめる。いわば作者の等身大の男たちである。「山崎の鬼」の「私」はまだ30歳まえの若者だが、「優しい脅迫者」「春の一日」「待避線」の「私」「ぼく」「浩介」は中年の管理職、「風の素描」はリタイヤ目前、「赤い螢」の「私」はやはり60歳をすぎている。
数おおくの作品のなかから、作者があえてこの6編をえらんで作品集を編んだのは、ある種のネライがあってのことだろう。
事実、ぼくはいずれもいちど読んでいるのだが、こうして一冊に編まれてみると、またあたらしい世界がみえてくるのである。これもまた、まぎれもなく小説のもつ力というものである。
あらためて読みなおしてみると、作者が「あとがき」で、あまり面白くない……という「会社もの」がむしろ新鮮でおもしろい。
大手建設会社の働く男の日常をタテ糸にして、家庭のこと、父親のこと、若かりしころの女ともだちのことがヨコ糸をなし、あざやかにひとつの時代の錦絵がおりあげられてゆくのである。
土建の世界は日本経済のもっとも象徴的な部分をなしてきただけに、いわゆる失われた10年にうごめく人間の隠れた部分をみる思いがする。
『赤い螢』は阿久悠の作詞でしられる歌謡曲「北の蛍」をベースにした作品である。60歳をはるかにこえた主人公が、かって学生時代の恋物語を回想でかたるかたちになっている。
幼くて稚拙ともおもえるなりゆきなのだが、懐かしい過去としてただ回想しているわけではない。思い起こすことによって、若かりしころの主人公とその彼女に時をへだててあたらしく出会いつづける。主人公も傷つきながら、ほろ苦い何かを発見しつづけるのである。そういう凝ったしかけがある。
古い仲間がいまも健在で書きつづけていることを知ると、ほのぼのとした気持ちになり、あたらしい本のページをくるたびに、なんだか勇気づけられるのである。
ヘミングウェイに『移動祝祭日』という短編集がある。岩波書店の新書版シリーズ「同時代ライブラリ」におさめられていたが、ながく絶版になっていた。昔 読んだ憶えはあるのだが、いつしか本は散逸してしまった。図書館で借り出すほかないなあ……と思っていたが、このほど「海外名作新訳コレクション」の一冊として新潮文庫になってよみがえった。
2月1日の発売日にさっそく買いこんで再読している。同時代ライブラリーの訳者は福田隆太郎だったが、今回はヘミングウエイの短編集をはじめ「日はまた昇る」「武器よさらば」などの翻訳もてがけている高見浩である。文章がいくぶんやわらかくなり、字面もみやすくなった。何よりも「注」が豊富になり作品の背景がよくわかる。
ヘミングウエイはいわゆるロスト・ジェネレーション(失われた世代)を代表するアメリカの作家、『老人と海』でノーベル賞をもらったことで知られている。ヘミングウエイといえば、まず『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』など長編が頭にうかんでくるが、おおくのすぐれた短編ものこしている。
ぼくはどちらかというと短編のほうのファンである。むしろヘミングウエイの資質は短編作家ではないかとさえおもっている。
『移動祝祭日』はかつてパリですごした青年時代を描いている。ここに収録された作品は作者のヘミングウェイが22から27歳までの時代。記者の仕事でパリにやってきて、作家としてとびたつ、まさにその時代である。新婚でこどもが出来たばかり、晩年の作者とは対照的にちょっとセンチでナイーブなすがたがうかびあがってくる。
パリでのヘミングウェイ夫妻の暮らしはどん底、そんななかで競馬だけが救いだった。 夫妻はよく競馬場に出かけてゆく。たとえば……。
「いま競馬に使えるだけのお金がほんとうにあるの、タティ?」妻が訊いた。
「いや。とりあえず収支トントンになればいいと思うんだが。他に何か、これという使い道はあるかい?」
「そうねぇ」
「わかってる。このところ、やりくりが大変だったからな。ぼくは財布のひもを引き締めて、金の使い方をだいぶケチってきたから」
「そんなことはないんだけど」妻は言った。「でも」
「ぜひ行きましょうよ」妻が言った。「ずいぶんご無沙汰してるじゃない。競馬場にはランチとワインを持っていきましょう。わたしがおいしいサンドイッチをつくるから」
「汽車に乗っていこう。そのほうが安くつく。でも、気が進まないなら、無理にいかなくていいんだぜ。きょうは何をしても楽しいさ。こんなにすばらしい日なんだから」
「ぜひ、いかなくっちゃ」
二人は競馬場にでかけてゆくのだが、そのときのいそいそしたようすが何ともほほえましく眼にうかんでくるのである。さらにこんなくだりもある。
「以前オートイユ競馬場のレースで、妻は黄金の山羊(シューヴル・ドール)という馬に賭けたことがあった。賭け率は百二十対一(=120倍)だった。その馬は二十馬身の差で先頭を走っていたのだが、最後の跳躍で転倒してしまい、わが家の6ヶ月分に相当する儲けがふっとんでしまった。二人ともそのことはもう忘れようと努めていた。」
収録されている20あまりの作品になかには、若きヘミングウェイがパリで出会った人たち、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンド、ジェイムズ・ジョイスらについて存分に語っている。とくにあのフィッツジェラルドとの奇妙な交友のありかたには興味ふかいものがある。
『移動祝祭日』はヘミングウエイ晩年の作だが、はからずもこれが遺作となる。同作品を書きあげたかれは、ほどなく猟銃自殺してしまうのである。したがって同書は作者の死後、夫人(4番目の夫人)の手によって出版されたのである。
死の直前にパリですごした青春時代を回想したのは、どん底の生活だったにもかかわらず、夫婦と幼子が身をよせあうようにして暮らしたころが、人生のなかでいちばん輝きをはなっていたと思いあたったからだろう。たとえば、こんなふうにも書いている。
「私たちは金をつかわずにたっぷり食べ、金をつかわずにたっぷり飲み、暖かい眠りを二人で存分に味わい、こころゆくまで愛し合ったのである」
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筆者が「見たこと」「聞いたこと」「考えたこと」を備忘録がわりにランダムに書き記してゆきます。自身の書く小説の舞台裏だけでなく、30年間追っかけている「駅伝・マラソン」のこと、仕事をはなれて、「競馬」や「競艇」についてのトピックやエッセイなど……。
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