2008-08-13
咲きほこる花、消えゆく花!

 野口みずきが北京五輪マラソンを欠場する。各紙のニュースで報道されているとおり、左太ももの肉離れが発覚、その去就が注目されていたが、12日に出場が不可能と判断、日本陸連に出場辞退を申し出たというのである。

 もし野口が完調で出場すれば、女子で史上初の2連覇が濃厚だっただけに、マラソンファンとしてはたいへん残念である。しかし、もっとも悔しい想いをしているのは野口本人だろう。

 野口のケガは高野監督が「大腿(だいたい)二頭筋の肉離れと半腱様筋(はんけんようきん)の損傷」だという。野口のケガそのものについては驚きはない。 いつかは、このようなかたちで競技から去ってゆくのだろう……という予感があったからである。

 アスリートはすべからくケガと紙一重のところまで躯を追いこんでいる。そうでなければ国内予選ですらも勝てない。ましてや、国際大会やオリンピックとなればなおさらのことである。

 さらに野口のトレーニングは想像を絶するものがある。身長150㎝にもかかわらず豪快なストライド走法が持ち味である。マラソンランナーとしては常識やぶり、まさに革命的な走法というべきだが、その影には壮絶なる筋力トレーニングの積み重ねがあった。

 大レースになると負け知らず、鉄人といわれた野口も、この1~2年はつねに故障の影がちらついていた。マラソンランナーの選手寿命は短いとはいえ、まさか野口がここで消える……とは思わなかった。

 新聞報道をみて、驚きはなかったが、いかにも「儚いなあ……」と嘆息をつくほかなかった。女子柔道・谷本2連覇!の大見出しが踊る影で、2連覇をめざしながら、ひっそりと消えてゆく一輪の花があった……。



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2008-08-06
被爆者の声と伊藤明彦さん

 きょうは広島、3日後には長崎で原爆忌である。あれからすでにして63年……である。被爆者のうち、生きながらえた人たちも少なくなり、生存している人たちも高齢化がすすんでいる。

「やがて、被爆した人たちがひとりもいなくなる日がやってくる。そうなれば原爆の恐ろしさが完全に風化してしまう。だから被爆者自らが肉声でかたる被爆体験を記録にとどめ、後世にのこす必要があるのではないかと思ったのですよ」

 元長崎放送記者の伊藤明彦はそのようにかたった。かつてある本づくりの取材で訪問、話を聞いたときのことである。あのときの伊藤さんの表情を今もわすれられないでいる。

 伊藤さんは42年間にわたって全国を歩きまわり、1,000人をこえる被爆者の声を収録、その録音テープは951巻きにおよんだ。コンパクトば録音機材のない時代、重たいオープンリールの録音機をかついで被爆者をたずねてまわった。

 収録したテープは何年もかかって編集、コンパクトのテープやCDに編集、全国の図書館や学校など公共の移設に寄贈しつづけてきた。むろんどこからの援助もうけていない。すべて自費である。

 それにしても42年とは、とほうもない道のである。人生の最も熱い季節をすべて費やしたといっていいだろう。  マスターテープの寄贈先がきまったとき、伊藤さんはひとまず長い旅をおえたが、インタネットの時代になって、また、思い立ってあるきはじめた。さっそく協力者によって「被爆者の声」(http://www.geocities.jp/s20hibaku/)というサイトがつくられ、原爆被爆者284人の証言を集めたCD作品をパソコンで聞けるようになった。

 被爆者たちの声をアメリカの若者たちに聞かせたい……。インタネットならそれができる。協力者の手によって、英語字幕版がつくられ、いまでは全世界に配信されている。先日、その伊藤さんからメールがとどいた。

「伊藤明彦です。こんにちは。「被爆者の声」の英語字幕版「voshn.com」ですが、映像制作のプロのご協力により、CMを作成しYouTubeに投稿しました。 ご覧頂ければ幸いです。外国人のお友達にもご紹介下さいますよう。」

 英語字幕版(http://www.geocities.jp/s20hibaku/voshn/)は被爆者の肉声を耳で聞きながら、パソコンの画面ではその英訳が読めるという仕組みになっている。小刻みにクリックしなければならないのが、ちょっとめんどうだが、音声はすばらしいものにしあがっている。

 あと30年もすれば、すべての被爆者は地上から姿を消すだろう。だが伊藤さんのテープは貴重な歴史の証言として残るもし広島、長崎の体験をわすれるような事態がみえれば、伊藤さんのテープにおさめられた1000余人の声が厳しく断罪することだろう。



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2008-08-03


 植島啓司の新著『賭ける魂』(講談社現代新書)は、おもに競馬を素材にしてギャンブルを哲学的にかたる希有な書である。


 ギャンブルは人生そのものではない。しかし人生に必要なものはすべてギャンブルが教えてくれた……と、著者はみずからの人生に照らし合わせながらかたるのである。


 たとえば実際の生活でおこったら眼もあてられないようなことが競馬ではしょっちゅうおこる。運をのがしたり、運にうらぎられたとき、ぼくたちはどのように対処すればいいかもギャンブルはおしえてくれる……と。


 著者は宗教人類学者にして競馬をはじめ、あらゆるギャンブルにも通じている。世界のギャンブルの修羅場をくぐってきた経験がいかんなくいかされて、読み物としてもなかなか興味ある内容になっている。


 さすがに宗教人類学者らしく、ギャンブルをめぐる人間の「心」に深く踏み込んでいるところが最大の読ませどころだろう。


 たとえば「人間は自分以外の力を必要とする」と言い、「何かを信じても勝てるとはかぎらないらないが、何かを信じないで賭ける人間はほぼ百パーセント負けてしまうのである」というところなど、いかにも宗教に関わる人間の真骨頂というべきか。


 最も興味深かったのは、日本人は「賭け」というものかんして、きわめて心がせまいという皮肉めいた指摘である。あまりにも「勝った」「負けた」にこだわりすぎる。ゴルフにいっても、コンサートにいっても、レストランで食事をしても、応分の費用がかかるのに、どうしてギャンブルの負けにこだわるのか……と疑問を投げかける。その裏で、ギャンブルを罪悪とみる風潮をあざ笑っているのであることは明らかである。  ギャンブルは勝ち負けではない……とまできっぱり言いきる。勝ち負けばかりにこだわらないで、もっと「賭け」そのものを楽しむべきだという論旨には説得力がある。


 商売柄、おもしろいとおもったのは、ヘミングウエイの『移動祝祭日』の考察である。競馬好きの人間には愉しい小説である。同作品はヘミングウエイの遺作であるが、出版されるまえに著者本人が自殺してしまっている。  作品の舞台はヘミングウエイ若かりしころのパリ、小説が売れないで、夫婦で競馬三昧にふけっていた不遇時代が描かれている。


 文豪といわれ、世界的に知られるヘミングウエイが、なぜ貧困のどんぞこにあったパリ時代を回想するような作品を遺したのか?  おそらく……。ヘミングウエイにとっては、功成り名を遂げた現在より、赤貧のパリ時代、競馬だけが救いだった日々のほうが、人生で最も幸せだったのではないか……と著者はいうのである。


 競馬好きならばこそ、知る人ぞ知る。なかなかおもしろい指摘で、、うなづけるものがる。  著者には『競馬の快楽』(講談社現代新書 1994年刊)という作品があり、本作はいわば続編というおもむきだが、ギャンブラの「心」をえぐる風変わりなギャンブル書としておもしろく読んだ。



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2008-08-02
ミナト・ヨコハマで国際女子マラソン!

 「東京国際女子マラソン」が来年から、「横浜国際女子マラソン」として衣替えして再スタートすることになった。(1日、日本陸連発表)

 同マラソンは世界ではじめて国際陸上競技連盟(IAAF)公認の女性限定マラソンとして1979年11月にスタート、今年で30回目を迎えるという伝統ある国際大会である。ところが2007年に東京マラソンがはじまると、日本陸連や東京都は、男子の東京国際マラソンともども統合して「東京マラソン」に一本化しようと考えた。

 男子の東京国際マラソンはふたつ返事ですぐにおうじたが、女子のほうはかんたんに首をふらなかった。世界初の国際陸連公認の女子マラソン……というプライドがゆるさなかったのである。

 そんなわけで当面は「東京国際女子マラソン」として別個に開催されてきた。当初はスポンサーの朝日新聞もかなり突っ張っていた。ところが2007年12月に突如として、同大会を今年の30回大会でおしまいにする……と発表した。心変わりの原因は、警視庁から「年2回もマラソンの警備なんかやってられるかい!」と引導をわたされたせいだという。(深読みすれば、何かと大言壮語するあの知事が蔭で糸をひいている? ということも……)

 かくして伝統ある大会も宙ぶらりんになっていた。今回の陸連発表では、そっくりヨコすべりのかたちで横浜で開催されることになったというわけである。

 そのかわり……というわけでもないが、毎年2月におこなわれてきた「横浜国際女子駅伝」は2009年を最後に廃止になる。

 駅伝シーズンの最後をかざる「横浜国際女子駅伝」は、毎年2月の第4日曜日、ミナト・ヨコハマの美しい風景を背景にして女子選手たちが華やかに駈けぬける。観るレースとしてはなかなかオシャレな大会である。

 国際女子駅伝としては最も伝統ある大会で、第1回は1983年におこなわれ、ソビエトが優勝している。日本女子の長距離が、弱くて世界レベルにほど遠かったころ、世界のトップを招いて、長距離・マラソンの強化をしようともくろんだ。そういう位置づけの大会だった。

 世界各国のナショナルチームと日本のナショナルチーム、横浜、さらには全国7つの地域選抜で覇を争う……。当初は世界各国からナショナルチームが数多くやってきたが、最近では5~6チームになってしまい。全体でも出場14~15チームはなってしまっているのが現状で、いまひとつもりあがりを欠いている。

 日本チームも世界のトップに胸を借りる……という意気込んでいたころにくらべて、いまひとつ気合いが入らない。ナショナルチームとはいえ、いつしかベストの布陣ではなく、いつしか国際親善だかが眼目の大会になってしまった。

 ぼくの「駅伝時評」では、このところ毎年、横浜国際女子駅伝の開催意図について疑問をなげかけてきた。  なぜなのか? 日本女子が、いまやオリンピックマラソンで3連覇をねらうほどになった。たくましくなった。もはや世界のトップと肩をならべるほどになり、胸を借りる必要なんかなくなってしまった。原因はそんなところにある。

 国際女子駅伝の衰退の原因はそんなところにある。伝統ある駅伝大会がなくなるのは、ちょっぴり心残りだが、もはや役割をおえたのだから、ま、いたしかたがないだろう。



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