2008-04-02
狭山湖と石原慎太郎

 時計をみまちがえて今朝は午前5時に起きてしまった。早起きは3文の得……というわけでもないが、ランニングの途上、ふと思い立って狭山湖まで足をのばしてみた。傍らの道路はクルマでときおり通りかかることがあるが、湖水ちかくをジョッグで流すのは久しぶりである。

 狭山湖は東京都の水がめとして1934年というから、ぼくらが生まれるよりはるか昔に完成した人造湖で、正式には「山口貯水池」という。所沢市にあるが東京水道局が管理している。

 桜の名所としても知られており、桜の開花時期になると染井吉野をはじめ、オオシマザクラやヤマザクラなど、およそ20,000万本が咲き乱れる。堤防から見渡す満開の桜はなかなかみごとなものである。




 だが……。何年かまえにみた咲き誇る桜と眼のまえの風景がまるで重ならなかった。なぜなのだろう? 周囲をきょろきょろと見まわしているうちに、堤防そのものがすっかり様変わりしているのに気づいた。

 全長700mの堤防とそのうえにある道ががまるで一変していた。以前は道に石が敷きつめられていたが、平坦になって歩きやすくなっている。中央には展望デッキなんかがしつらえられている。



 以前なら湖水側ではない堤防の下には桜の古木が連なっていたのだが、いまは公園のように整地されて堤防の下には遊歩道がのびている。なるほど。ぼくが違和感を感じたのはそのせいだった。堤防から見渡す桜の絶景をなす桜並木そっくりなくなっていたのである。

 いつからそうなったのか。うかつにも堤防を渡りきってはじめてそれがわかった。湖畔に見慣れない「石碑」があった。へんてこな碑石には「五風十雨の味わい」と刻まれ、石原慎太郎の銘があるではないか。なんだろう? 裏にまわると次のように「いわく」が記されていた。



「山口貯水池は昭和二年から昭和九年にかけて築造された水道専用のアースフィルダムです。当時の先端技術を駆使して築造された貯水池は、平成七年に発生した阪神・淡路大震災を教訓として、より強固なダムにするため、平成十年から平成十四年にかけて世界にも類のない堤体耐震強化工事を行い、生まれ変わりました。」

 要するに6年ものあいだ、ぼくは狭山湖の桜をみかぎっていたことになる。「いわく」書きはさらにつぎのようにある。

「この石碑は蘇った貯水池の新たな第一歩を記念して設置したものです。碑文「五風十雨の味わい」は、東京都知事石原慎太郎の書です。」



 なぜ石碑が必要なのか。なぜ慎太郎なのか? 税金を使ってわざわざそんなモニュメントをつくる必要なんかなかろう。東京都はいったいどんな神経をしているのか……と思ったが、これはおそらく工事を請け負ったゼネコンがサービス(といってもちゃんとお代はとっている)でつくったものなのだろう。そのように考えると合点がいった。

 それほどむずかしくもない堤防ひとつ造るのに4年もかかっている。きっと工事をひきのばして、利益を大きく育てたにちがいなにのである。だから知事への返礼の意味をこめてゼネコン側の発案でつくったとみてまちがいないだろう。



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