2008-04-01
ウソのようで本当の話?

 耳よりの話だから、忘れないうちにメモしておく。ほかでもないヤスオちゃんの話である。ヤスちゃんといっても長野県知事だったあのヤスオちゃんではない。もう70をとっくに超え、ギョーザやチベット問題で何かとお騒がせの中国では「ノビタくん」と呼ばれている宰相ヤスオちゃんの話である。
 昨夜、ヤスオちゃんはガソリン税の失効にともなう混乱にたいして、国民にたいして陳謝したのは衆知に通りである。その夜おそく公邸にもどったヤスオちゃんについてウソかマコトか容易に判別つかぬエピソードがある。

 ヤスオちゃんはさすがに心身ともに疲れ果てていた。着替えもせずにベッドに倒れ込んだが、そこえ、やにわに電話がかかってきた。
 ただの電話ではない。表舞台にはいっさい顔を出さないで国をあやつるボスからのホットラインである。自分が宰相でおられるのもすべてはボスの意思によるものだ。出ないわけにはいかない。受話器をとった。
「おい、あの記者会見のときの態度は何だい! ふざけるんじゃないそ」
 受話器をとるなり怒鳴りつっけられたヤスオちゃんは、「私はご指示通りにちゃんとやったつもりですが……」と間のぬけた声をあげた。
「何を言うか。オレは自分の言葉で言えといっただろう。あれじゃ、オレのつくったものを棒読みしただけじゃないか」  
 ボスは心底から激怒している。
「申しわけありません」
 ヤスオちゃんは電話にもかかわらず深々と頭をさげていた。
「以後、気をつけるんだな」  受話器を投げ捨てるように電話は切れた。
 ヤスオちゃんはひとりになると、やにわに孤独感に苛まれてどうしようもなくなった。もともとプライドが高いヤスオちゃんは陳謝なんかしたくなかったのである。自分というものがだんだ嫌になってきた。官房長官や与党の幹事長だけでなく閣僚たちも白い眼を向けるようになってきた。
 窓の外をみると境内にある櫻の花が咲ききり、闇のなかでこんもりとした淡い紅色に煙っていた。ヤスオちゃんの脳裡にふと西行の一歌が浮かんだ。

 ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃

 花の咲いているうちに……。長らえて椅子にしがみついていてもいいことなんかないだろう。潔い覚悟でしめくくろうではないか。今がいちばんの潮時だ。けだし名案じゃないか……と自らのアイディアに酔いしれてしまった。
 ヤスオちゃんはそう思い立つやいなや、何通もの遺書を書き上げると、遺書を残せない愛妾に電話した。吉永小百合によく似た30なかばの元芸妓とは5年の付き合いである。
「先生、今日はお疲れさまでした」
「ありがとう。ぼくのことを分かってくれるのはキミだけだよ」
「とても、ごリッパでしたよ」 「いろいろとありがとう。ぼくはキミといるときがいちばん幸せだったよ」
「先生、どうしちゃったんですか。今日はヘンですよ?」
「いろいろと世話になった。ありがとう」
 ヤスオちゃんは涙にみせぶながら電話を切った。
 愛妾の彼女は不審に思い、すぐにタロウちゃんに携帯で電話して、ヤスオちゃんの様子が普通ではないと告げた。
「やはりなあ。そんな話をしていたか。いや、すべて分かっておる。お見通しだ」
 タロウちゃんは公邸の別室に控えていた。モニターに映るヤスオちゃんの挙動に眼を離さないでいた。画面のなかのヤスオちゃんは白装束姿で正座して、果物ナイフを握りしめていた。
 タロウちゃんはあらかじめ待機させていたSPたちに「それ、踏み込め!」と命じた。10人もの屈強な男たちがヤスオちゃんの室になだれこみ、やにわにナイフを奪い、四肢をおさえつけてしまった。
「よし、そこまでだ」
 タロウちゃんは悠然と胸を張って現れて、テーブルにおいてある遺書をとりあげた。そのかなかからイチロウに宛てた遺書をみつけて開けてみた。
 私の亡き後は貴殿がどうか党にもどってきて、かねてからの談じていたとおりに事を運んでいただきたい……。
 タロウちゃんはにやりと笑った。
「あなたには、やるべきことはすべてやっていただきます。再可決もあなたにやっていただきます。いま、死んでもらっては困るんですよ」
 タロウちゃんはさらに遺書をヤスオちゃんの鼻先に突きつけて、「こいつは大事におあずかりしますよ。のちのち大いに役立ちそうですからね」と勝ち誇ったように声をあげて高らかに笑った。……

 タロウちゃんの高笑いで、ふいと眼を覚ますと、4月1日の朝がすっかり明けていた。ないやら風がつよい日のようである。  夢はすぐに忘れてしまう。忘れてしまうのは惜しい話だから、記憶が定かなうちにこのようにメモで残しておく。



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