2008-04-12
馬は苦しんで暴れながら死んでゆく

「馬の瞳や耳をみると、馬がどんな気持ちでいるか、わかる気がする。落ち着いてゆったりした気持ちであるか、ちょっと緊張ぎみか私のことなど目に入らず興奮真っただなかか……。」  

 渡辺はるみ著『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房 2002年刊)の一節である。全編がこんな調子でつづられている。馬をこよなく愛する人にしか、書けない文章である。

 著者はナイスネイチャなどを生んだ渡辺牧場の経営者夫人である。獣医をめざしているときに、実習で出会った馬の魅力のとりつかれ、とうとう大学を中退して牧場に嫁入りしてしまったという経歴をもつ。

 牧場で生まれる馬を、まるでわが子のような視点でとらまえ、生まれ、育ち、競走馬として巣立ってゆくさまを、愛といつくしみあふれる筆で切々とつづる。牧場のオカミさんの細腕繁盛記でもある。

 読者としてもっとも胸を打たれるのは、「自分の牧場でうまれた馬を最後までみとどけたい」という著者のなみなみならぬ姿勢である。  

 歌の文句にあるように、「ワラにまみれてヨ~、育てた栗毛」とはいえ、「今日は売られて街にゆく……」となれば、いくら愛着があっても、そこで今生の別れとなる……というのがふつうの生産者というものだろう。ところが著者は競走馬として引退したり、ケガや故障で廃用になった馬を、再び牧場にひきとって、最後までみまもってやろうとするのである。

 サラブレッド、競走馬は走れなくなればどうなるか? これが、あんがい知られているようで知られていない。馬は大切に世話してやれば30歳ぐらいまで生きるが、天寿を全うする馬はほとんどいないのが現実である。  

 種牡馬や繁殖牝馬、あるいは乗馬用など第二の人生を歩むことができるのは、ほんのひとにぎりで、ほとんどが殺されて「肉」になる。市場に出回っている食肉やペットフードの材料になっているのである。  なぜか? 

 馬一頭を生かしつづけるには多額の金がかかるのである。たとえば馬一頭養うとすると、あたりまえとはいえ一馬房を余分に使い、貴重な放牧地の面積と地力を消耗させることになる。さらに労賃、エサ代、寝ワラ代がかさむ。走れなくなった馬は赤字しか生まないのである。

 だから走れなくなれば廃用となり、ただちに家畜業者に売り渡され、食肉卸業者の手によって解体されてしまう。競走馬も牛や豚、鶏などと同じように経済的動物だという割り切りかたがそこにある。

 だが著者の渡辺はるみさんはちがう。自分の牧場から巣立った競走馬をつねに追っかけていて、廃用になったら牧場にひきとる。わが子のような生産馬は、やすらかな天国へ旅立つのを見まもりたい……というのである。

 そういう著者の思い入れは、時としてあまっちょろい感傷として、生産者として命取りになるやもしれない。自身の存立そのものを危うくすることにもなりかねない。けれども彼女はそんな決死の綱渡りで堪えている。そういう彼女の苦悩と葛藤が、理屈ではなく、具体的な日常を通して克明に描きだされている。

 たとえば……。引退した競走馬を積極的にひきとってきた渡辺牧場といえども、牧場がいっぱいになると、やむなくどれかの馬は処分しなければならなくなる。そんな場合、著者はしかたなく馬がなるべく苦しまないように、麻酔剤を使っての安楽死の方法を選択する。獣医の手をわずらせるから高額の費用がかかる。 次にかかげるのは文中の一節である。

「誕生日の早いヒットからやることにした。彼らは注射をされることには慣れていて、何とも思わない。口に一杯、好物をほおばりながら…。 鎮静剤の後、麻酔薬を注射してもらうと、ヒットは突然バタンと倒れた。」「薬剤を入れるとすぐに反応があり、最後は痙攣が起きて四肢をうーんという感じで伸ばし、息絶えた。」  

 その後、彼女自身がトラクターで遺体を運び、シャベルカーで穴を掘って埋葬する。まさに気が狂いそうなな状況である。けれども彼女自身は決して眼をそむけないで、周囲も自分をも客観的にみつめ、きびしく撃っている。

 競馬は「夢とロマン」だというだが、光輝く部分が大きければ大きいほど、蔭の部分も深いものがある。ファンに知られればイメージダウンになるから、JRAは公表しないが JRAだけでも年間数千頭におよぶ馬が、殺処分となっている。地方競馬もふくめればさらに増える。家畜商はゼニと人出のかかる安楽死というような方法をとらない。眉間に鉄棒で「バシッ」とやってすべてを終わらせる。

 競走馬の余生というものに初めてスポットを当てた。著者の手柄はまさにそこにあるといえる。競馬の主役であるはずの馬の立場や福祉がないがしろにされているではないか。馬は何のために生まれてきたのか、何のために生きたのかもわからないまま、最後は苦しんで暴れながら死んでゆく。  これでいいのか? 

 著者は、競馬にかかわるすべての人はもちろん、馬券を買うぼくたちファンにもきびしく問いかけている。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-10
聖火リレーと北京五輪!

 
 北京五輪の聖火リレーはいぜんとして混乱がつづいている。9日にはサンフランシスコを終えたことになっているが、予定のコースを何の予告もなく変更された。だれも見ていない裏街道を走ってお終いだという。実質的に非公開である。いったい何のための聖火リレーなのだろうか?
 
 騒ぎがおおきくなればなるほど、各地で示威行動する亡命チベット人たちの思うツボになる。今後はニューデリー、ジャカルタ、キャンベラなどを経て26日に長野を通過、29日のホーチミンから5月2日には香港へ移動、中国の国内ルートがスタートする。ニューデリーなどではトラブルが起こりかねない。中国ルートではチベットそのものをも通過するのだが、デモや抗議行動が絶対におきないとはいえない。唯一安心できるのは平壌ぐらいだろう。

 現在の聖火リレーをはじめたのは1936年のベルリンオリンピックのナチスである。1930年代に台頭したナチのドイツが国威発揚のために、およそ3,000人のランナーを動員して聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。

 現在の中国は1930年代のナチ、ドイツと同じような国家だとはいうつもりはない。けれどもあのころのドイツと同じように、成長いちじるしい超大国となりつつある国であることはたしかである。近い将来は世界最大の経済大国になるやもしれないのである。

 だがそんな中国は、あ~ら不思議、いまだ一党独裁の国家なのである。そこに中国のかかえるおおきな矛盾がある。今回のチベット問題は、いわば尿路に出てきた結石のようなものである。

 皮肉にも新しい中国を祝うセレモニーになるはずの北京五輪が、中国政府に対する抗議行動の標的になってしまった。チベットの反政府運動と、それに連動した世界各地での抗議行動によって、中国政府のもくろみは無惨にも砕け散ってしまったのである。

 オリンピックなんてやらなければよかった! いままさに、中国はマジで後悔し始めているのではないだろうか。  



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-09
「くいだおれ」の閉店!

 大阪ミナミのシンボルともいうべき、あの電動人形「くいだおれ太郎」くんで知られる大衆食堂「くいだおれ」が7月に閉店するという。オープンが1949年だというから、60年の歴史をとじることになる。

「くいだおれ」は食堂ビルである。要するに、ナンデモアリの大衆食堂なのである。父ちゃん、かあちゃんがガキどもを連れて……。家族そろって歌合戦……ではなくて、常ひごろはめったにしない外食というものに繰り出すにふさわしい店、こどもたちをよびこむために店先に電動人形をおいたのである。

 当時は「食堂ビル」というのスタイルの店が流行していた。和食、洋食、寿司、麺類から甘党、喫茶……まで、なんでもござれ、いわばファミレスの走りである。当時としては斬新な発想で、外食というものが珍しい時代にあって、こどもたちのあごかれの的でもあった。

「くいだおれ」のほかにも道頓堀には「ドウトン」という店もあった。ビルのフロアごとに洋食、中華、和食と別れていて、好きなものを選べるという食堂ビル、ほかにもいくつかあったと思うが、いつしか「くいだおれ」だけになってしまっていたようである。

「くいだおれ」は団塊の世代とともにうまれ、日本の発展とともに歩んできたが、団塊の世代が定年をむかえるのと同じように、もはや、その使命と役割をおえたとみるべきである。食堂ビルという商法は、もはや時代にそぐわなくなった。閉店は時代の流れというものだろう。

 食堂ビル「くいだおれ」の閉店によって、「くいだおれ太郎」くんも定年退職する。しかし、あのキャラクターゆえに惜しむ声がしきりで、再就職先をめぐって、さまざまなに模索されているようだ。

 だが……。もはや使命をおえたのだから、あれこれと派手に引っ張り回すのはいかがなものか。60年の功績を称えるイベントはともかく、あとは静かな余生を送らせてやる道を考えてやったら、いかがなものだろう。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-08
ビル・ゲイツさんよ! そろそろ大人の分別を!

 ぼくがパソコンを使い始めたのは、あの「Windows 95」が鐘や太鼓ではやしたてられて登場した1995年の秋からである。最初のマシンはDELLのノートパソで、ワープロ専用機で遊んでいたパソコン通信(NIFTY)の通販で買った。

 Windowsはその後「98」になり、「Millennium」になり、「XP」になり、「Vista」になったが、「XP」まではバージョンアップのたびにマシンも買い換えてきた。

 来年には「Windows 7」なる新しいOSが発売されるという。MSの会長であるあのビル・ゲイツが発表したというのだからまちがいなかろう。

 それにしても……。「Vista」が出たのは、ついこのあいだではなかぅたか。こんなに早い変わり身をみせるのは「Vista」がダメだということなのか? モデルチェンジしなければ商売にならないというのは理解できるとしても、いったいどういうことなのだろうか?

 ぼくは現在もいぜんとして「XP」を使いつづけている。文章を書いたり、ホームページをつくったり、写真を加工したり、インタネットをやったり……。馬券や舟券、車券、サッカーくじtotoを買ったり……。

 このていどならば、「Vista」なんて必要はない。いまの「XP」で十分ことたりているのである。ところが「Windows 7」が出るというのならば、こんどマシンを買うときは「Vista」を素っ飛ばしてしまうことになる。
 「Windows 7」が出ても、ぼくはいまのマシンに支障がないかぎり、「XP」を使いつづけたいと思っている。何ら不自由を感じていないのだから、買い変える必要なんかまるでないのである。

 しかし売る方としては「Windows 7」を出せば、「XP」のサポートを打ち切ってしまうだろう。新しいOSを出すねらいは、まさにそこにあるのだから……。

 Mycrosoftの商法で最も困るのは、新しいOSを発売すれば、もう古いOSは店頭から引き上げてしまうことである。たとえば「XP」のマシンを使っていたユーザーが新しいパソコンに買い換えようとすれば、もう「XP」登載のマシンはないということになる。否応なしに新しいOSのマシンを買わされる。

 OSの機能が成熟しつつある現在、そろそろ、いくつかのOSを併存させてはどうなのだろうか?、たとえば「Windows 7」を発売したとしても、「XP」も「「Vista」も販売しつづける……というふうに。

 否応なし……、選択の余地なし……、というのは横暴というものではないだろうか。風雲児・ビル・ゲイツはいったい何歳になったのかな。いつまでもこどもでいないで、そろそろ大人の分別を発揮してほしいものである。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-07
オソマツすぎる! 会津若松「鶴ヶ城」クイズ事件の顛末!

 最近のテレビ番組は、要するに、おもしろおかしければ何をやってもいい……という風潮が露骨に蔓延していて、まるで歯止めというものがなくなってきたようだ。バラエティはもちろん、クイズ番組すらも例外ではない。出題の内容はもちろん、解答で面白おかしくオチをつける手法が流行っているようだ。

 たとえばTBS系のクイズ番組「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」でおこった前代未聞の椿事はその代表的な例というものだろう。最終的にはTBSが会津若松市の抗議をうけて、謝罪することでオチ……となりそうだが、なんともバカバカしくて話にもならない。

 すべては番組制作者の無知と相手を思いやる心遣いの希薄さ……ということにつきる。事のおこりは2月16日放送の同番組で、「旧幕府軍が若松城(鶴ヶ城)を明け渡した理由は何か?」という問に対して「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」というのを正解とした……ところにある。

 これでは会津若松の人たちはがまんならない。烈火のごとく怒る気持ちはよくわかる。幕末の会津戦争では、藩士だけでなく、その家族たち、女性も老人もこどもすらも城に籠って戦った。全員が城とともに討ち死にする覚悟だったのである。

 会津の人たちはそれゆえに現在も戊辰(ぼしん)の会津戦争への思い入れには格別なものがある。たとえば会津の郷土史家はあの戦争で命を落とした藩士を一人残らず調べあげている。誰がどこで戦って死去しのか。克明にまとめた冊子もあるほどである。

 拙著『会津おんな戦記』を書くとき、取材のためになんどか会津に出向いたが、郷土史家のある人から「あなた、会津人にとっては戦争というのは、どれを指しているかわかりますか?」とたずねられたことがある。

 会津のひとたちにとって、「戦争」というのは「太平洋戦争」のことではない。幕末から明治に移るあの「戊辰戦争」のことをいう。かれらは世代が代わっても鶴ヶ城の籠城戦を忘れてはならないものとして今なお記憶にとどめているのである。

 鶴ヶ城はなせ落ちたか? 糞尿がたまったから……。バカ言っちゃいけない。最新式の洋式大砲で、一日に2000発も撃ち込まれたんだよ。藩兵だけでなく、女・こども・老人にまで死傷者が続発した。たまりかねて藩主の松平容保が降伏を決意したのだが、布という布はみんな繃帯につかわれていて、白旗をつくる白い布さえないという悲惨なありさまだったのである。

 糞尿よりの屍だらけだった……っていうけど、それより場内の井戸という井戸はすべて屍で埋まっていたんだ。糞尿がたまったたから……なんて、笑いものにする理由だけをかすめとるのは言語道断というものである。

 合津若松市の菅家一郎市長がTBSに抗議文を送ったのは当然のなりゆきというものである。抗議文の全文は「会津若松視市長 菅家一郎ブログ」に掲載されている。

 TBSは謝罪放送は8日の午後0時53分ごろ、番組の間にアナウンサーが謝罪文を読み上げる予定だというが、おそらく「やればいいんだろう。やりますよ……」というような通りいっぺんの素っ気ないものなのだろう。

 番組担当者の歴史感覚の希薄さは救いようもない。かれらは会津の人たちが城に籠もって死ぬまで戦おうとした戊辰戦争なんて全く知らないのだろう。相手の立場に立ってものごとを考えない。ただ笑うネタだけを探している。

 それって、弱者切り捨ての発想で、差別やイジメの原点じゃん!



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-06
昨日ある病院でひそかに集音した怖い話 !

 はい。こちら処置室ですが……。えっ、救急車が15分後に着くってですか……。そんな、わたし聞いてませんよ。えっ……。ちょっと待ってください。
 ねえ、誰か、救急車……、聞いてる?
 M先生じゃないですか。
 ええっ、受けると言ったの? M先生……
 そうらしいです。
 そう。まったくしょうがないわねえ。
 お待たせしました。聞いているそうですから……。15分後ですね。お待ちしています。
 さあ、忙しくなってきた! ちょっと、あなた、これ、Kさんの点滴の用意、お願いね。わたしはストレッチャーもってこなければならないから……。
 はい。点滴ですね。Kさんって、2週間まえまで入院してらしたあのKさんですか?
 そう。あのKさんなのよ。
 お悪くなったんですか? あれほどお元気で退院なさったのに……
 ちょっとワケありでね。
 何ですか? それって……。
 それがねえ、外来でこられたときに違う薬を出しちゃったらしいのよ。
 そんな!
 シッ……、大きな声出さないで。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-05
サクラの季節にヤスクニ問題!

 靖国問題というのマスメディアのつくった乱暴なことばで、靖国神社をめぐるさまざまな問題をすべて指している。かって合妃の問題も「靖国問題」といわれ、首相の参拝についても「靖国問題」といわれてきた。

 そういう靖国問題について、コメントするつもりはない。靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」があるが、その上映がとりやめる映画館が相次いでいる。そういう「ヤスクニ・モンダイ」についてちょいと考えてみたい。

 同映画を観たわけでない。だから、いったいどういう内容なのかはいまひとつよくわからない。中国の李纓(リ・イン)監督が約10年間にわたり、軍服を着て参拝する人たちや追悼集会など終戦記念日における靖国神社の風景や、靖国刀を作り続ける刀匠を追うなどの画面構成によって視聴者に何かを問いかけるドキュメンタリーらしい。

 週刊誌の過剰反応もあったが、このたびの騒動がもちあがったのは、自民党の若手議員たちが試写会を求めたこと……ことにある。

 上映を中止する映画館が相次いだのだが、映画館側の言い分は、もし問題が起きると、映画館が入居しているビルのテナントに迷惑をかかるというものである。

 何で迷惑がかかるのか? どういう質の迷惑なのか? 突き詰めてゆくと、その裏には何らかの勢力による恫喝まがいの圧力があったことは容易に想像がつくだろう。いわゆる「触らぬ神に祟りなし」というふうで、いかにも日本的な問題の処し方といっていいだろう。

 試写会のあと一部のメディアから反日的だという声があがり、一部の政治団体が上映中止をもとめる動きがあったらしいが、それもひとつの考え方だから、とやかくいう問題ではない。上映に賛成するも、反対するも、いずれにしても自由である。

 しかし事は上映をめぐる賛否ではなかろう。まず映画を観なければならない。観たうえで、その内容について、喧々囂々の議論をやればいいのである。もし上映すらも実力で阻止するという向きがあれば、それは憲法の保障するところの言論の自由に触れる。

 試写会を求めた自民党の稲田朋美議員は、今になって事前検閲だとか表現の自由侵害などと言われているが、自分の意図とはちがう。表現の自由は尊重されるべきだ……とのべているのだが、騒ぎが多くなって慌てているのだろう。

 ほんとうにそのように思っているのなら、ぼやぼやしてないで上映が実現するように積極的に動くべきだろう。それが火をつけた本人として当然の処し方というものである。

 配給・宣伝を担当するアルゴ・ピクチャーズが4日に明らかにしたところによると、すったものだのあげく、東京都内の1館を含む全国8館が、とりあえず上映することになったという。

 アルゴ側もいまだ妨害行為への懸念から劇場名については明らかにしていない。あちこち調べるたところによると、現在のところ上映がきまっているのは大阪の「第七芸術劇場」、京都の「京都シネマ」というところ。東京はどこになるのかいまのところ不明だが、上映がきまったらぜひとも駆けつけようと思っている。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-04
「おバカ」をバカにしてはいけない!

 TVのクイズ番組なのかバラエティなのか容易に判別つかないが、「ヘキサゴンⅡ」(フジテレビ系)が超人気番組になっているのは、ひとえに島田紳助の演出が絶妙ゆえのことだろう。「なんでも鑑定団」にしても伸助がいなければ、あれほど人気がでなかったにちがいない。

 「ヘキサゴンⅡ」の人気を支えているのは男女の「おバカ三人衆」といわれるトリオである。男性版が「羞恥心」、女性版が「Pabo」で、ともに近日中にCDデビューするという。

 とにかく男女ともに3人衆が繰り出す珍答、迷答ぶりは、想像を絶するものがあり、司会者の伸助の巧妙なとりさばきによって、爆笑シーンが演出されてゆくのである。そういう意味でもクイズ番組というよりもバラエティといったほうがよかろう。

 いまやすっかり主役となった「おバカ3人衆」の奔放自由というか、宇宙人的な迷答の連発に虚をつかれつつも、視聴者はあきれかえって笑い出し、「世にはこんなバカなやつがいるのか」と最後は優越感にひたって溜飲をさげる。そこのところがミソになっており、この「おバカ」といわれる6人を鵜匠のようにあやついっているのが島田紳助なのである。

 ところで6人の珍答・迷答ぶりを見て、それをもって、ほんとうの「おバカ」さんだとするのは、いささか早計というものだろう。多少は天然……のところもあるが、これがなかなか油断ならない。要するに「おバカ」を演じている……と観ておいたほうがいいだろう。

 たしかにモノを知らないことは事実であろう。しかしモノを知らないことが即バカということにはならない。世の中には知識は豊富だが頭が悪い、つまり「物知りのバカ」「賢いバカ」がいっぱいいる。知識と知恵はちがうのである。

 彼ら彼女らは「おバカ」を演じることに徹していて、もはやそれが快感になりつつあるのではないか。そして視聴者のほうは「おバカ」といって揶揄すればするほど、彼ら彼女らは、ますます人気者になってゆく。

 そして視聴者は彼ら彼女らのほうがカシコ面している自分たちよりも、はるかにシタタカなのであることを思い知ることになる。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-02
狭山湖と石原慎太郎

 時計をみまちがえて今朝は午前5時に起きてしまった。早起きは3文の得……というわけでもないが、ランニングの途上、ふと思い立って狭山湖まで足をのばしてみた。傍らの道路はクルマでときおり通りかかることがあるが、湖水ちかくをジョッグで流すのは久しぶりである。

 狭山湖は東京都の水がめとして1934年というから、ぼくらが生まれるよりはるか昔に完成した人造湖で、正式には「山口貯水池」という。所沢市にあるが東京水道局が管理している。

 桜の名所としても知られており、桜の開花時期になると染井吉野をはじめ、オオシマザクラやヤマザクラなど、およそ20,000万本が咲き乱れる。堤防から見渡す満開の桜はなかなかみごとなものである。




 だが……。何年かまえにみた咲き誇る桜と眼のまえの風景がまるで重ならなかった。なぜなのだろう? 周囲をきょろきょろと見まわしているうちに、堤防そのものがすっかり様変わりしているのに気づいた。

 全長700mの堤防とそのうえにある道ががまるで一変していた。以前は道に石が敷きつめられていたが、平坦になって歩きやすくなっている。中央には展望デッキなんかがしつらえられている。



 以前なら湖水側ではない堤防の下には桜の古木が連なっていたのだが、いまは公園のように整地されて堤防の下には遊歩道がのびている。なるほど。ぼくが違和感を感じたのはそのせいだった。堤防から見渡す桜の絶景をなす桜並木そっくりなくなっていたのである。

 いつからそうなったのか。うかつにも堤防を渡りきってはじめてそれがわかった。湖畔に見慣れない「石碑」があった。へんてこな碑石には「五風十雨の味わい」と刻まれ、石原慎太郎の銘があるではないか。なんだろう? 裏にまわると次のように「いわく」が記されていた。



「山口貯水池は昭和二年から昭和九年にかけて築造された水道専用のアースフィルダムです。当時の先端技術を駆使して築造された貯水池は、平成七年に発生した阪神・淡路大震災を教訓として、より強固なダムにするため、平成十年から平成十四年にかけて世界にも類のない堤体耐震強化工事を行い、生まれ変わりました。」

 要するに6年ものあいだ、ぼくは狭山湖の桜をみかぎっていたことになる。「いわく」書きはさらにつぎのようにある。

「この石碑は蘇った貯水池の新たな第一歩を記念して設置したものです。碑文「五風十雨の味わい」は、東京都知事石原慎太郎の書です。」



 なぜ石碑が必要なのか。なぜ慎太郎なのか? 税金を使ってわざわざそんなモニュメントをつくる必要なんかなかろう。東京都はいったいどんな神経をしているのか……と思ったが、これはおそらく工事を請け負ったゼネコンがサービス(といってもちゃんとお代はとっている)でつくったものなのだろう。そのように考えると合点がいった。

 それほどむずかしくもない堤防ひとつ造るのに4年もかかっている。きっと工事をひきのばして、利益を大きく育てたにちがいなにのである。だから知事への返礼の意味をこめてゼネコン側の発案でつくったとみてまちがいないだろう。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008-04-01
ウソのようで本当の話?

 耳よりの話だから、忘れないうちにメモしておく。ほかでもないヤスオちゃんの話である。ヤスちゃんといっても長野県知事だったあのヤスオちゃんではない。もう70をとっくに超え、ギョーザやチベット問題で何かとお騒がせの中国では「ノビタくん」と呼ばれている宰相ヤスオちゃんの話である。
 昨夜、ヤスオちゃんはガソリン税の失効にともなう混乱にたいして、国民にたいして陳謝したのは衆知に通りである。その夜おそく公邸にもどったヤスオちゃんについてウソかマコトか容易に判別つかぬエピソードがある。

 ヤスオちゃんはさすがに心身ともに疲れ果てていた。着替えもせずにベッドに倒れ込んだが、そこえ、やにわに電話がかかってきた。
 ただの電話ではない。表舞台にはいっさい顔を出さないで国をあやつるボスからのホットラインである。自分が宰相でおられるのもすべてはボスの意思によるものだ。出ないわけにはいかない。受話器をとった。
「おい、あの記者会見のときの態度は何だい! ふざけるんじゃないそ」
 受話器をとるなり怒鳴りつっけられたヤスオちゃんは、「私はご指示通りにちゃんとやったつもりですが……」と間のぬけた声をあげた。
「何を言うか。オレは自分の言葉で言えといっただろう。あれじゃ、オレのつくったものを棒読みしただけじゃないか」  
 ボスは心底から激怒している。
「申しわけありません」
 ヤスオちゃんは電話にもかかわらず深々と頭をさげていた。
「以後、気をつけるんだな」  受話器を投げ捨てるように電話は切れた。
 ヤスオちゃんはひとりになると、やにわに孤独感に苛まれてどうしようもなくなった。もともとプライドが高いヤスオちゃんは陳謝なんかしたくなかったのである。自分というものがだんだ嫌になってきた。官房長官や与党の幹事長だけでなく閣僚たちも白い眼を向けるようになってきた。
 窓の外をみると境内にある櫻の花が咲ききり、闇のなかでこんもりとした淡い紅色に煙っていた。ヤスオちゃんの脳裡にふと西行の一歌が浮かんだ。

 ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃

 花の咲いているうちに……。長らえて椅子にしがみついていてもいいことなんかないだろう。潔い覚悟でしめくくろうではないか。今がいちばんの潮時だ。けだし名案じゃないか……と自らのアイディアに酔いしれてしまった。
 ヤスオちゃんはそう思い立つやいなや、何通もの遺書を書き上げると、遺書を残せない愛妾に電話した。吉永小百合によく似た30なかばの元芸妓とは5年の付き合いである。
「先生、今日はお疲れさまでした」
「ありがとう。ぼくのことを分かってくれるのはキミだけだよ」
「とても、ごリッパでしたよ」 「いろいろとありがとう。ぼくはキミといるときがいちばん幸せだったよ」
「先生、どうしちゃったんですか。今日はヘンですよ?」
「いろいろと世話になった。ありがとう」
 ヤスオちゃんは涙にみせぶながら電話を切った。
 愛妾の彼女は不審に思い、すぐにタロウちゃんに携帯で電話して、ヤスオちゃんの様子が普通ではないと告げた。
「やはりなあ。そんな話をしていたか。いや、すべて分かっておる。お見通しだ」
 タロウちゃんは公邸の別室に控えていた。モニターに映るヤスオちゃんの挙動に眼を離さないでいた。画面のなかのヤスオちゃんは白装束姿で正座して、果物ナイフを握りしめていた。
 タロウちゃんはあらかじめ待機させていたSPたちに「それ、踏み込め!」と命じた。10人もの屈強な男たちがヤスオちゃんの室になだれこみ、やにわにナイフを奪い、四肢をおさえつけてしまった。
「よし、そこまでだ」
 タロウちゃんは悠然と胸を張って現れて、テーブルにおいてある遺書をとりあげた。そのかなかからイチロウに宛てた遺書をみつけて開けてみた。
 私の亡き後は貴殿がどうか党にもどってきて、かねてからの談じていたとおりに事を運んでいただきたい……。
 タロウちゃんはにやりと笑った。
「あなたには、やるべきことはすべてやっていただきます。再可決もあなたにやっていただきます。いま、死んでもらっては困るんですよ」
 タロウちゃんはさらに遺書をヤスオちゃんの鼻先に突きつけて、「こいつは大事におあずかりしますよ。のちのち大いに役立ちそうですからね」と勝ち誇ったように声をあげて高らかに笑った。……

 タロウちゃんの高笑いで、ふいと眼を覚ますと、4月1日の朝がすっかり明けていた。ないやら風がつよい日のようである。  夢はすぐに忘れてしまう。忘れてしまうのは惜しい話だから、記憶が定かなうちにこのようにメモで残しておく。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
Template Design: © 2007 Envy Inc.